≪ 思いがけずピントがあってしまうコトもある |メインページへ戻る| 残念::MacBook Air ≫
例のビデオ…。くだらねぇモノに釣られてしまったと言う気がしなくもないが…。
異国の食文化をどのように捉えるかなど、内心にとどめている内は勝手だと思う。しかしそれが妙な手法で抗議行動に至ったり、それへの脊髄反射的な行動を煽るにまで大きくなっていく様を見ていると、なんともバカらしいと言うか、ニンゲン様と言う生き物の視野の狭さを痛感させられる次第。
去年、丁度内国でのイルカ騒動があった頃、知り合いの豪州人(白人男性)の何人かに話題を振ってみたものの、さすがに好き好んで日本に住んでるノーマルな豪州人の意見は「ま、絶滅させちゃマズいけど、節度があれば捕っても食ってもいいんでないの?」という立ち位置がほとんどだった。中には「オレも日本に来てクジラ食ってみたけど、牛とさほどかわらんね」とか言う強者もいた。
親日家なのかどうかは分からないが、ただ彼らに共通していたのは、豪州は太平洋を囲んでAsia Pacificという大きな輪で「繋がっている」という意見だ。そういう立ち位置で物事を捉えている豪州人は、異国の文化をあからさまな批判や否定することはなく、すくなくとも外の世界を知ろうとしている。
そうだ、もしも日本人に捕鯨の賛否を問うのであれば島根の叔父様(ベルーガ/白イルカ)に訊いてみるのがいいかも知れない。
ソフトバンクのCMで一気におなじみになってしまった愛嬌ある顔のベルーガだが、果たして彼らを捕まえて食うニンゲンが居てると聞いて、私たちはどう感じるだろうか? 嫌悪?
しかしその事実が、その地域の環境や気候に根ざしたもので、必要に迫られて生まれたものであり、それが今なお文化と実益を兼ねて継承されていると聞けば、果たしてその感情はどのように変化するだろうか。詳細を知りたいのであれば10年ほど前のNational Geographic誌のページをくってみるといい。一部のエスキモーが持つその文化が取り上げられ詳細に記されていた(邦訳版でも掲載されていたように思う)。
話は少し変わるが、先日、英国から最近やってきたと言う男性と話をする機会があった。話はお決まりの食談義。日本食の中では寿司が大の好物だと言っていたが、話の内容が寿司種の「踊り(クルマエビの踊り)」に至った時の彼の引き具合と言ったら(と言うか、それまで踊りなるものが存在することすら知らなかったらしい)、彼が引いてしまった以上にそのリアクションを見た私の方が引いてしまった。
鯛の活き造りにいたく感動していた豪州出身の同じ世代の人間とのリアクションの差を考えたら、天と地の差だ。異国の食文化がどのように目に映るかというのは千差万別。そのことをあえて論う必要などないと思う。ましてや、それを変化球として政治の道具として使わんとすることなど、まさにタチが悪いとしか言いようがない。
ところで今回の騒動、食文化の話が微妙に人種差別的なニュアンスを含んでいるあたりを皆が見逃していないのには、なかなか関心したりもした。
白豪主義。
今耳にすれば、なんとも懐かしい響きに感じるから不思議なものだ。私の世代では学校でアタリマエに習い、子供ながらに「だからどうした?」と感じていたコトだ。私が子供の頃は、別に豪州の白豪主義だけでなく米国だって普通に肌の色で物事を分けていた。日本だって肌の色こそ同じでも「国籍で…」と言うのが普通に存在していたから、この「だからどうした?」の中には、「長いものには巻かれておけヨ、結局、実を取ったが勝ちだよ」と言う島国根性的な稚拙な思いもあった。
時代が移り変わり、モノやヒトが行き交っていく中で、人種は交わっていくのが自然の摂理だと、正直そう思う。これはローマの昔から実証されていること。その過程における一部の原理主義的なグループの抵抗も、いわば織り込み済みのコト。今の米国の大統領予備選挙の「不法移民」の話題なんぞ、これを如実に写し出してる。でもその実、彼ら「不法移民」が居なければ米国経済が成り立たないことは誰もが知っている。長い目で見た時、結局どこへ落ち着くかもわかっている。だから差し当たりの騒動/喧騒も織り込み済みだと思ってしまえばそれだけのこと。
このクジラ騒動もそんな風に考えれば、長い目で見ればさほど悪いものでも無いように思えなくもない。
P.S.
ん? クジラ? 私は食うよ、年に一度くらいだけど。
大阪の関東炊き(おでん)に入ってるクジラの「コロ」は大好物だし。無理して食うようなものではないし、無くても困らないものだけど、普通に食える内は、普通に食うよ。ま、それが自然と言うものだと思うし。
|by Nagarazoku : 11:20|コメント (2)|トラックバック (1)|
トラックバック・スパム対策のため、このBLOGへのリンクを持たないページから送られたトラックバックは自動的に拒否されます。悪しからずご了承ください。
また、このエントリと全然関係の無い内容のページからのトラックバックは、アタシ的な判断で勝手に削除します。これも又、ご了承くださいマセ。
このリストは、次のエントリーを参照しています: 豪日クジラ騒動から諸々雑感:
» ブログ意見集: 調査捕鯨と捕鯨禁止運動 by Good↑or Bad↓ from ブログ意見集(投稿募集中)by Good↑or Bad↓
「調査捕鯨と捕鯨禁止運動」に関するブロガーの意見で、みんなの参考になりそうなブログ記事を集めています。自薦による投稿も受け付けているので、オリジナルな意見のブロ... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2008年01月08日 17:14
偶然なのでしょうか.私は昨晩イルカを食べました.
嫁の実家の伊豆では普通に食べるそうで,嬉々として食べておりました.味はクジラにそっくりでした.
広島の山間部では,サメをワニと呼んで刺身で食べますし,海のモノは何でも食べてしまいますね.これも特技ならぬ,国技でしょうか.
それにしてもこのビデオは知りませんでした.日本が作ったものなのでしょうか?すし屋の日本人が太ってて,ちょっとゾッとしました.
投稿者 yanz : 2008年01月09日 18:36
> yanz様:
コメント、アリガトウゴザイマス。
ビデオは日本人が作ったもののようですよ。すし屋の部分は技と海外メディアのものを引っ張ってきてるみたいですけど。
食の形態というものは、そこで生息している生き物すべて(ニンゲンも含めて)、そしてその地域の生態系と密接に関係して生まれ、それがカタチを変えながら現在に至っているものだと信じて疑いません。異なる地域や環境で育った者が、特定の地域の食文化だけを切り出し、それが既知の概念に当てはまらないからと言って一方的に非難を行うと言う行為は、残念ながら、やはり間違っていると思わざるを得ないのです(遠洋における過度の商業捕鯨には疑問の残る部分も多々あります)。
菜っ葉の切れ端でも、松阪牛の極上サーロインでも、それは元々別の「命」です。ニンゲンの食生活(食生活だけではないのですが…)が、植物を含む他の生き物の命の上に成り立っていることを私たちはついつい忘れてしまいがちです。
大切なのは、生きるために今手の届くところにあるものに手を伸ばし(通貨経済の現代に置き換えれば、身の丈にあったものを…とでも言えばいいのでしょうか)、感謝の念を忘れずに、食する/消費するというスタンスなのでしょう。
そうすれば、無駄も無理も生まれませんし、本来の自然の生態系が持つそこで均衡が保たれるはずです。
「殺して食べるのはかわいそう…」と言うだけでは何も始まりませんし、何も変わりません。いや、そんな風に思うことが、連鎖の頂点に立っていると言う錯覚が生み出した奢りなのかも知れませんね。
命を奪い(極端な表現ですが)、食する/消費すると言う一連の流れを、結果として新しい命につなげるか、それとも単なる浪費で終わらせてしまうのか。いまニンゲンに問われるべくはこのことでしょう。
少なくともニンゲンの手が介在しない「自然の生態系」では、ここで言う浪費は生まれていないようですし。
投稿者 Nagarazoku : 2008年01月11日 10:20