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|by Nagarazoku : 00:01|コメント (2)|トラックバック (0)|
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こんにちは.
偶然ですが,今朝ラジオを聴いていたら桜の話をしていました.なんでも,現代のソメイヨシノをいう種類だけを珍重する風潮は,ここ最近のことらしいですね.それまでは,他の桜も含めて,3月~4月の間に順々に咲いては散っていくのを愛でてたようです.ソメイヨシノだけを桜として珍重するようになって(成長が早いとか,一斉に咲いて,一斉に散るさまが見事だとか理由はあるようですが),それまでバラバラだったものが,4月という月に儀式が集約され,年度始めになったというようなことを言ってました.詳しくは覚えていないのですが,なんでも精神面で失ったものもあるそうな.
ブルーシート問題も徐々に社会問題化されてきているようですが,花見スポットと呼ばれる場所は,”我先に”で矢鱈混雑してるのに,見事な桜並木であっても,有名になってないだけで全く閑散としていたりする場所を見かけると,嬉しい反面,なんだかなあと思ったりしますね.桜が見たいのか,宴会がしたいだけなのか...
長文,失礼しました.
投稿者 yanz : 2007年03月30日 10:47
> yanz様:
コメント、アリガトウゴザイマス。
儀式的な部分における演出効果としてのソメイヨシノの台頭は、戦前戦後の歴史を振り返り、様々な視点から検証も行われていますね。ひとことで言ってしまえば、右へ倣え的な発想を好むようになった近代日本人に広く受け入れられたというトコロでしょうか。
個人的には豆桜や山桜、川津桜や強烈な白さで魅了する大島桜の方に風情を感じてしまいます。どういえばいいのでしょうか、侘び寂びの世界があるとでも言いましょうか。それでいて、常に環境の変化に迅速に対応しようとする自然界の厳しさのようなものも感じさせてくれますし。
規格化/画一化/標準化というものは、時として面白みをなくしてしまうものです。おそらくおっしゃている「も精神面で失ったもの」とは、このあたりに起因するものではないかな、と考えてしまいます。
今、我が家の裏の公園ではソメイヨシノが真っ盛りで、何組ものグループがシートを広げて花見の宴会状態です。名所での宴会も、穴場探しも、画一化の中で「面白み」をなくしつつも、いろいろと新たな面白みを求めて徘徊している人間の姿を眺めているほうが、案外面白かったりして。ひょっとして、後数年すれば、人気のない山里の山桜の下で「しんみりと一杯」などというのがトレンドになるかも知れませんよ(ビーパルやサライあたりが火をつければ)。
おっと、ニンゲン様は、やっぱり宴会と言うか飲むための理由が欲しいだけかも…。
投稿者 Nagarazoku : 2007年04月01日 14:56