≪ 事務所の近所でベジー・バーガーとやらを食った |メインページへ戻る| トルコで勃発のYouTube追放問題から思う ≫

2007年03月08日

【 デジタルでマクロで、モノクロで 】

ここ数年PENTAXの67で撮り続けている友人に先日会ったのですが、その時、彼は銀塩に拘る理由を「カラーだったらデジタルで充分だから」と、そんな風に言っていました。

私は銀塩で突っ込んだ創作の領域へは踏み込んだことがないので(一応小学生の頃写真部でしたから、一般的な白黒現像はやってましたが)、彼が言いたいことの深意も、そして真意もわからずじまいでした。ひょっとしたら、印画紙の種類や焼き加減や現像液に浸しておく時間などのわずかな差によって表現できるマチエールなどのことを伝えたかったのかも知れませんが…。

銀塩かデジタルかと問われれば、私にとってはデジタルが性に合っていると言い切りますが、画像そのものは別にカラーもモノクロもコダワリはありません。いやもとい、デジタルのモノクロも味があって良いものだと思ってたりします。

昔、高感度のフィルムの荒れた粒子を活かしたモノクロの作風が流行った時期がありましたが、デジタルなら、そういう風な作品も取り扱いの面倒な高感度フィルムや暗室作業なしで極簡単に行えます。もちろん、絹のように滑らかで繊細なタッチのモノクロ画像だって簡単に作れます。ちょっとコツを覚えれば、モノクロ画像で微妙な表現だって行えますし、なによりも失敗しても、その失敗による出費が少なくてすむのが嬉しいところです。これが銀塩だったなら、作業時間や材料費を考えただけでも、私はゾっとしてしまいます。あえての失敗ではないですが、表現手法を考察するために様々な実験を行えるのもデジタル画像の良いところでしょう。

しかし、ナニゴトも勘所は必要で、やはりデジタルでは思い切った表現が比較的簡単にできてしまうため、シャッターを切る時に、純粋に必要最小限の手をくわえるだけの画像にするか、それなりに手を加えるための「素材」として撮るのかの判断が必要なように思えます。

モノクロ画像に話をもどせば、実は私が家に額装して飾っている写真はマクロで撮ったモノクロの植物の画像です。Flickrにはカラーで公開しているものも、チャンネルミキサーを使って、微妙なタッチでモノクロへと作りこんでラボにお願いして印画紙出力してもらっています。もとはと言えば、鋭い美的感覚を持った嫁の勧めだったのですが、やってみたらピシャリと空間にはまりこんで、部屋の良いアクセントになっています。変な話ですが、こうしてみれば、普段見慣れているカラーの世界観から懸け離れたモノクロなデジタル・マクロの世界も、なんとも味があっていいものです。

で、先ほどの「素材」として撮るという部分に話を再度戻せば、最近はもうシャッターを切る瞬間に「この画像はモノクロに仕上げよう」と考えて、露出を変えて撮ってたりする自分が居ます。たしかにこうして「素材」的な観点からとらえてみれば、デジタルのモノクロは銀塩のそれとは根本的に違うような気がしなくいでもありません。

っとここまで考えて、ひょっとしたら67を使い続けている彼が言いたかったことは、このへんにあるのではないかなと、そんな風にも思えた次第。まぁ、結局はなんにもわかってはいないのですが…。とりあえず、ジブンの道を模索しましょうか。

|by Nagarazoku : 00:35コメント (0)トラックバック (0)

トラックバック・スパム対策のため、このBLOGへのリンクを持たないページから送られたトラックバックは自動的に拒否されます。悪しからずご了承ください。
また、このエントリと全然関係の無い内容のページからのトラックバックは、アタシ的な判断で勝手に削除します。これも又、ご了承くださいマセ。

■このエントリーのトラックバックURL ≫ http://www.nagarazoku.com/mvt/mt-tb.cgi/1061



▼コメント(スパム対策のため、半角英文のみのコメントは受け付けていません。悪しからずご了承ください。)




保存しますか?