≪ ローズマリーの花 |メインページへ戻る| 秋色の新宿御苑と*istDSと… ≫
2006年11月14日
【
履修履修と五月蝿いなぁ… 】
世界史の履修が足りない、どうするで騒がしいなぁ。ナンで今更と言う気がしないでもないのヨ。別に受験に関係ないとかそう言うのとは違うんだけど、教える側で融通をきかせると言うか、すっ飛ばして教えないと言うのは昔もあったと思うし。
アタシもその所為で譜面がまともに読めない。リコーダとかハーモニカを小学校の授業で吹いていた覚えはあるのでどう考えても不思議なのだけど、譜面の読み方というのを習った覚えがない。
中学校に上がって、いきなり音楽の時間に譜面を読む小テストやら、ピアノの音を聞いて譜面を指差すと言うテストがあって、私と同じ小学校から進級した生徒の多くが(エレクトーンとかピアノを個人的に習っていた者は別として)手も足も出なくて赤っ恥をかいた。とうぜん中間試験とかでも筆記の方はイキナリの赤点スレスレとか、だったと思う。
小学校の音楽の時間は音符とかではなく、わら半紙に刷られた歌詞にドレミファとカタカナでルビがふられたようなもので授業を受けていたように思う。毎年春になると立派な音楽の教科書も配られていたが、一度も開くことなく新品のまま翌年の2月を迎えるのが常だった。
件のガリ版刷りのわら半紙、いわゆるプリントの方のファイルは、翌年の2月にはけっこうな分厚さになっていたと思う。耳で聴いて、声をだして歌って、とりあえず耳で拾った音とプリントのカタカナを見比べてなんとなく楽器を演奏してたような気がするが、結局小学生の間に全然音符と言うモノと触れ合う機会がなかった。
世界史の件とは違うけど、これだって広義に考えてみれば教える側の恣意的な考え方で歪められた現実と言うものだしサ。それが尾を引いてかどうかはわからないが、いまだに音符が苦手で譜面がまともに読めない。大人になってギターを始める時にょっとそれが恨めしかったが、でもまぁ、困ったのはその程度でしかないというのも事実。
世界史だって習う立場の当人達からすればきっとこの感覚と同じ程度なのだろうに…。知りたくなったら今時どこにでも資料は転がってるんだから、大人になってからでもそのときに勉強すれば良いんじゃないのかと、そんな風にも思えたりするしねぇ。
種を蒔いた教える側は今になって慌て、後手に回っていた官僚側の対応が今更ながらに表面化して、メディアは飯の種とばかりに騒ぎ立てて…。まぁ、この縮図も毎度なのだが。来年度から適正化を図って、本年度までの人で履修単位が足りなかった人については今後10年以内に50枚程度のレポートを提出する、提出されたレポートは授業を受け持つはずであった側が責任を持って評価する、って程度でいいんでないの?
だってさ、「学校で習ったコトなんて興味ないことならすぐに忘れちゃうんだし、いいじゃん、いいじゃん!」って120%くらい本気で思ってるんですケド…。
|by Nagarazoku : 00:23|コメント (0)|トラックバック (0)|
トラックバック・スパム対策のため、このBLOGへのリンクを持たないページから送られたトラックバックは自動的に拒否されます。悪しからずご了承ください。
また、このエントリと全然関係の無い内容のページからのトラックバックは、アタシ的な判断で勝手に削除します。これも又、ご了承くださいマセ。
■このエントリーのトラックバックURL ≫ http://www.nagarazoku.com/mvt/mt-tb.cgi/912