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2006年10月24日
【
朽ち果てていく機械に感じる美しさ 】
数年前から、廃墟ブームみたいなのがある。でもそういうのはずっと以前から、アタシの子供の頃やもっとそれ以前からもあって、それは一種の「朽ち果てていく物」への崇拝みたいなもんじゃないかと感じている。崇拝と言うと、昨今の感覚ではナニやら怪しげにも聞こえてしまうので鑑賞とでもしておく方が無難か…。
昔は廃工場や放置された古い浄水場などがけっこうあって、誰もが一度や二度はそういう場所に足を踏み入れているハズだし(踏み入れずとも、そういう衝動には駆られているはずだと思うのだが)。しかし昨今ではそういうのもあまり見なくなった。最近のトレンドとしては地方の破綻したアミューズメント施設(瀬戸大橋のアレとかが代表的なヤツだな)や、廃業したラブホなんかだろうか。廃坑町の巡礼や軍艦島への参拝もそれに近いものがあるか…。
しかし、今日のお題目は機械だ。建物とかそんな大げさなモンじゃない。
ウチの近所で日々朽ち果てていく80ccのバイクのハナシ。その昔、ミニハチの愛称で若者に親しまれていた小さなバイクだ。そいつが裏路地の家の軒先に放置されてる。もうきっと誰もレストアなんてしないだろうコトは充分に見てとれるほどの放置具合。日に照らされ塗装は輝きを失い、雨にさらされてメッキは剥げ落ち、鉄の部分は赤くサビが浮き、そして軽合金の表面も白く粉を吹いている。
ずっと「あぁ、このまま朽ち果てていくのはかわいそうだな…」なんて思ってたりしたのだが、「良く考えてみればそれこそニンゲン様の奢りのような気がしないでもないな」っと最近思うようになった。
役目を終えて、朽ち果てて土に返っていくことは決して悪ではないと、そんな風に思い始めたワケだ。それがアタシの年齢的なものなのかナンなのかはわからないが、ま、とにかくそんな感覚が、ここ数年でアタシの心の中に芽生えてきている。
かつては誰かを乗せて、さっそうと風を切っていた時もあっただろう。白煙を吐きながら、オイルの焼けるあの懐かしい匂いと共に…。そして今は役目を終えて、ひっそりと軒先に佇んでいる。事故を起こしたような損傷は見当たらないから、きっと役目を全うしたのだろう。この場が、終の棲家となったのも何かの縁があってのコトなのだろう。
こうやって自然に朽ち果てていく姿は決して醜くなんかはない。手を入れてもらって日常の足となればそれはそれで良いだろう、しかし、厚化粧なレストアをされて床の間に飾られてたりするよりは、どうせ使われないならこうやって自然に身を任せて朽ちていくのも美しいものだ。
「見ていて、浮いている錆にも愛おしさを感じる」とまで言ってしまえば大げさなのかも知れないが、事実そんな風にすら感じているのだから仕方がない。そういえば土門拳氏がこんな「死ぬことと生きること」の中でこんな言葉を残している。
「形あるものは亡びる」亡びるものは亡ばしめよう。剥げ落ちる金箔は剥げ落ちるにまかせておけばよい。「形あるものは、命あるものは、いつかは亡びねばならない」ものなのである。滅びつつも美しさは衰えることなく、そして昇華する一瞬においても、美は消え去りはしないのである。
[ 出典:死ぬことと生きること 続@www.amazon.co.jp ]
朽ち果てていくミニハチを見ていて、ふとこの言葉のを思い出した。10年前のアタシなら、この家の主に話をつけてこの単車を手に入れてレストアしていただろう。今はそんな感情は湧いてこない。ただあるがまに在るその姿を愛でる。それもまぁ、あるがままなのだろうと、自分で答えたりしながら…。

P.S.
ミニトレとかミニハチとか言う言葉を耳にして「あぁ…」っと思うヒトは往年のバイク少年だったに違いない。バイクと言っても今風に言う自転車ではなく(っつうかコレはこの15~20年で定着した米国式の表現方法ですな)、単車の事。ミニトレはYAMAHAのGT 50、ミニハチはおなじフレームに80ccのエンジンを載んで、ちょっと長いシートを付け二人乗りができるようになってるGT 80。登場したのは今から35年ぐらい前(正確には1972年)。原型はこの2年前に登場しているFT-1。こいつはマフラーが左出しで、全体のディテールは限りなくDT-1のミニチュア版。FT-1のエンジンは後にYB系に搭載されることになったロータリー・ディスク・バルブのもの。GTはYZ/TY系と同じリード・バルブ形式。
YZ/TY系と書いたが、GT 50/80と同じエンジンを載むものにはYAMAHAのモトクロッサーである空冷のYZ 80のエンジンがそのままで搭載できた。ダブルクレードルフレームの形状といい、クランクケースのマウント穴の位置といい、意図されていたのかたまたま偶然なのか、それとも同じ図面を元に、基本設計を踏襲してストリートモデルを開発してコストを抑えたのかそれは定かではないが、兎に角YZのエンジンをそのまま載せることができた。アタシの知り合いにも何人かそれを実戦していたツワモノが居たが、ピーキーな上に乾式単版のクラッチのYZのエンジンにはかなり手を焼いていたのを覚えている。それでも乗れてしまえばソコはそれ80ccと言えどもレーシング用のエンジンだから、空気を切り裂くようなチャンバーの音を響かせながら並み居る400ccエンジンのロードバイクを尻目に峠のワインディングでは先頭を切ってコーナーに消えていっていた。今思えばなんとも牧歌的な時代だった。全てが未完成で、皆が日本の工業製品の可能性に何かを感じていた、まぁ、そんな時代だったのを覚えている。
|by Nagarazoku : 00:01|コメント (0)|トラックバック (0)|
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