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2006年08月31日
【
中華包丁で、昔をアレコレ 】
歯の矯正は、そのプロセスが佳境に入るとかなり痛みを伴うものらしい。アタシはやったことがないのでわからないのだが、今、嫁の歯の矯正が佳境にさしかかった様子。痛くてあまりモノが噛めないらしい。
というコトであまり硬いモノを晩飯なんぞに出すワケにもいかず、かと言って冷奴や素麺だけでは、なんだか夏バテが再発しそうな雰囲気なので、昨晩は久しぶりに麻婆豆腐を作った。
夕方になって「さて作ろうか…」と言う段になり、土物を放り込んでいる籠の中からニンニクを取り出して俎板の上に置いたとき、ふと中華包丁のことがアタマに浮かんだ。我が家には中華包丁がある。以前のエントリでもちょっと触れたが、使っていない出刃を友人が持っていた中華包丁と交換したやつだ。実はまだ一度も使っていない。さび止めのニスを剥いで刃は研ぎなおし、油を引いたまではいいのだが、ついぞ出番が無くいままでホッタラカシになっていた。
せっかくニンニクを刻むことだし、ましてや麻婆豆腐は四川料理だ。この際、せっかくだから中華包丁で半切したニンニクを「ペシっ!!」っとやってから刻んでみようかと思った。思い返してみたら、もうそんなコトは20年くらいやっていない。
似非学生の頃のバイトと言えば、決まって食い物屋の厨房だった。賄いで一食分浮くからと言う理由もあったが、やはり料理が好きだからと言うのもあった。伊勢海老料理屋に始まって、洋食屋、寿司屋、中華料理屋と抜け目無くやってるあたりが、我ながら卑しいというか、ずる賢いというか。おかげで、家で飯を作るのに必要な基本くらいはOJTで習得できたと思う。しかも賄いとバイト代付きで。
人にも恵まれたと思う。もちろんバイトをする側も日々の一食がかかっていたし、厨房で何がおこっているのかを見てみたいという出歯亀根性もあったから、そういう輩を受け入れてくれそうなバイト先を抜け目無く探したというのも事実ではあるが。それでもやはり、人には恵まれたのだと思う。
単なるバイトだからと軽くあしらわれたことはなく、その代わりに「やるからにはキチンと覚えて、見習い職人さんと同じ程度のコトまではやってね」と言う具合だった。おかげて肉も捌けるようになったし魚も開けるようになった。一応転ばない程度の寿司は握れる(握り寿司は、留学中にホームステイ先でかなりウケた)。さすがに中華で客に出す鍋は触らせてもらえなかったが、自分の賄いを作る時だけは鍋を振らせてもらった。
もちろん良いことばかりではなかった。たとえば節分の時など前の日の晩から徹夜で何升もの米を仕込んで火にかけて、翌日は早朝から眠い目をこすりながら巻き寿司を巻き続けたこともあった。職人さんの中には、やはりバイトを毛嫌いする人たちもいたし、イヂワルがなかったワケでもないし。
それでも、貴重な体験をさせてもらったと感謝してるし、良い思い出となっている。人付き合いが下手なアタシが、大なり小なり他人と接したり、一見の客と対話したりできるようになったのも食い物屋でバイトをしてたおかげのような気がする。
今時のバイト環境だと、こういうのはどうなっているのだろうか。もっとサバサバしたものなのか、それとももっとディープなものなのか。アタシがこういうコトをしてた頃は、ちょうど長かった不景気が上り調子に差し掛かった時期でもあり、なんだかみんなが浮かれていたから、こういう好き勝手がまかり通ったような気がしないでもないし。
俎板の上に中華包丁を置いた時、こんなことを思い返している自分に気が付いた。

P.S.
そう言えばあの頃、夕暮れ時と言えば絵筆を置いて、バイトへ行く時間だったなぁ…。
中華包丁一本で、昔をこんなにアレコレ思い出してるなんて、やっぱり歳食ったのかなぁ。
|by Nagarazoku : 00:03|コメント (2)|トラックバック (0)|
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こんにちは.思わずコメントしたくなるほど,とても素敵な文章ですね.
何かをしてる時や何かを見たときに,ふと記憶が映像として(あやふやで映像かどうかも怪しいものですが)湧きあがってきて,ボーッと見とれているというか思い出しているということはありますね.自分から思い出しているというより,傍観している感じです.
記憶力が鮮明で,かつ記憶するボリュームが少なくでバケツ一杯になる前は,つまり若い頃ですが,思い出す作業は不要だったのでしょうから.バケツからオーバーフローして自然にあふれた記憶の断片がどこかに溜まっていて,それが湧きあがってくるのかもしれませんね.年をとるということは,そういうことなんでしょう.
投稿者 yanz : 2006年08月31日 09:36
>yanz様:
コメント、アリガトウゴザイマス。
そうですね、傍観しているという表現がピッタリだと思います。過ぎ去った日々の、自分の軌跡の層が一気にロードされるとでも言いましょうか、ただ見つめているだけの自分に気が付くんですよね。
あの頃「歳を食ったならこんな風かなぁ」なんて思い描いていた自分とはこれまた違う自分が今ここに居たりして。
なんとも不思議なもんです、歳を食うって言うのは…。
投稿者 Nagarazoku : 2006年09月01日 14:26