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2006年08月13日
【
養母の日記 】
実は養母とある約束をしている。
養母は、自分が女学校に通っていた頃につけていた日記を大切に保存している。その約束とは養母が死んだら、その日記を譲り受けると言うこと。後は煮て食おうが、焼いて食おうが文句を言わないこと(化けて出るなと言うことなんだが)。持っているのは知っているが、養母が生きている間はさすがに中身までは読ませてもらってはいない。別に乙女の恋心とかそういうのは書かれてはいない(らしい)が、戦争中の庶民の生活を、一人の少女の視線から観察し、それを自分のコトバ書き綴った資料として考えれば、なかなか貴重なものだと思い、「多少なりとも恥ずかしいことも書いてあるかも知れないから、目の黒いうちは良いが白くなったらもらうから、それまで大事にしておいて」と、約束したのだ。もうかれこれ10年ばかり前だろうか。
そして最近は毎年8月15日が近くなると、その約束を思い出す。
去年も同じ時期に養母のコトを書いたが、案外、私の戦争感というのは養母やその親戚の人たちから、語られ、そして伝えられたことに基づくものなのかもしれない。もちろん親父の存在が無いわけでも無いが、やはり養母から学んだことの方が多い。それは彼女自身が一般庶民であり、空襲や疎開を経験してきたからなのだと思う。
親父の方から、戦時中のそういう庶民の視線での話を聞かされた事は一度もなかった。聞かされたのは、自分達は食い物に困らなかったという話や、内地に帰ってきたとき手持ちの食料を困っていた誰それに分け与えたとか、そういう話ばかりだった。少なくとも自身の経験に基づいた空襲や、疎開と言う言葉は親父には無かった。そして、親父の言葉のそれぞれが、微妙にフィルタをかけた後のものであったことは、物心ついた後では容易に察しがついた。
それは自分の立場的なものを考慮した上でのコトバだったのだろう。後年、彼自身そのフィルタを弱めてメッセージを伝えようとしたこともあったが、もうその頃には父と子の間で距離がありすぎた。今思えば、できればもっと早くに、もっと多くの事を語ってほしかった。しかし彼的には、最後まで荷物を背負い、そして墓の下まで持って行きたかったのだろう。戦時中、彼の地で同じ組織に属していた人たちの多くがそうしたように、だ。
親父から聞く話と養母から聞く話。その狭間で、より多くに耳を傾けるべくはどちらであるのかと、いつの間にか自問自答していた幼い私が居たようにも思える。
小学校の2年の頃だったろうか、一度、養母が疎開していた香川県の親戚の家に遊びにいったことがある。その時も色んな話を聞かされた。養母やその親戚からそういう話を聞かされる度に(後年は、私の方からその主題について訊ねることの方が多くなったが)、彼らの言葉を忘れないようにと、大切に畳んで心の中の引き出しにしまっておいた。きっと心のどこかで「直接こういう話を耳にすることは少ないのだから」っと、思っていたからかも知れない。そして身近な人たちの声だけに、よけいに記憶の中に編み込まれていった。
養母と私の歳はかなりはなれている。ちなみに養母の歳で、私が実子であれば、それは当時の産科医の世界では無理とは言わないもののウルトラC的な出産になる。そして当然に、養母方の親戚もみな私の同世代のそれらからすれば一回り以上、上の年齢となる。そういう環境で育ったので、私自身、昔から妙に同世代と話がかみ合わない部分もあったりする。
この歳になって思うのは、事ある度にああいう話を聞いておいてよかったなぁということ。今となっては経験した当事者達の記憶も怪しくなった。いや、そうでなくてもこれだけ物が溢れかえる時代になり、その波に乗っているように変に流されている部分もあるから。
昨日も書いたが、記憶が少しずつ洗い流され、それによって何かが動き始めているというように感じる。
漠然とだし、微かなものだが、やはりそういうモメントを感じる。悲観的になっても仕方がないし、楽天的になっても所詮そんなものは箸にも棒にもだし。こういう重たい何かが心の中で頭をもたげだした時には、人間自体の存在を蔑んでみることにしている。人にできることもあるし、でもやはり、その存在自体、自然界の法則の中でベクトルを維持するために媒体となりうる可能性を秘めた存在だと。人々の思惑や軋轢によって生まれる戦争という悲しい事態でさえ、超マクロ的に考えてみれば、方向性を維持するために自然界の中では必要とされていることではないのか…、っと。
それでも、私は人間として、失われた尊い命に対して黙祷を捧げることに変わりはない。
養母は喜寿をむかえて益々元気だ。親父とのゴタゴタがあった時には骨皮筋子さん状態だったのに、わずか数年で「どうしたものか…」と言うほどの恰幅。食えないより食えるにこしたことはないとは言え、ちょっと便利の良すぎる処に越させたかとも思う。
この元気ぶりを見てる限り「まぁ、後十数年は日記が私の処にやってくることはないな」っと、そんなことを考えながら、今年もまた夏が過ぎていく。。
気が付けば、空がやけに高くなってる。

|by Nagarazoku : 00:01|コメント (0)|トラックバック (0)|
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