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2006年08月12日
【
別の靖国問題から、イロイロ思う 】
asahi.comからの拾い読み。
神社の収入は、(1)さい銭や寄付、玉串料といった宗教活動による収入と、(2)不動産貸し付けなどの収益事業からなる。 神社の収支は公表されていないが、複数の関係者によると、85年当時は年約32億円あった収入は、企業からの寄付や慰霊祭などが減ったことにより、半分程度に落ち込んでいるという。
[ 出典:靖国神社が財政難 戦争世代減り寄付激減@asahi.com ]
こういうのを読むと「なるほどなぁ」っと思う。要は別の靖国問題だ。
ナニを「なるほどなぁ」っと思うのかと言えば、ゆっくりと世代が交代しつつあるのだなぁとか、まぁ、そういうコト。去年、安部英が死んだ時も「あぁ、時代が…」と実感したのだけど(戦争世代が亡くなっていくことの実態をこんなところで感じてしまう自分自身が微妙に歪んでいるな、なんて感じてしまうのだが)。
それと、靖国神社に対する個人的な感情は別として(っつうか、神社って言う言い方を止めて元にもどせヨ)、ヒトも事業も、そこに営みがある以上、この社会の中に在る限り経済を考えなければならないってコトも改めて実感。経済と言えばキレイに聞こえるケド、結局はカネだし。「貧すれば窮す」「貧すれば鈍す」とも言うし、個人なら「衣食足りて…」だし組織なら「ヒト。モノ。
カネ。」だし。
それから、もひとつ、漠然とした不安が無いワケでもない。
それはやはり戦争がなんであったのかと言うことを「実体験」として語ることのできる人達が居なくなっていくと言うコト。ウチの親父は(死んじゃったケドね)ドップリと戦争に浸かってたヒトだから、アタシはハナタレ小僧の頃からイロイロと聞かされてきた。そうやって断片的に聞かされてきた情報をジグソー・パズルのピースになぞらえ繋ぎ合わせてみれば、出来かけの絵の中に、いくつもの欠けたピースがあることに気がつく。何度聞いても、そしてこちらから訊いても絶対に聞かされない、絶対に渡されない影の部分。
ただ、そういう部分があったとしても、その世代の人達が生きていて、ある程度社会的な影響力を保持している間は、案外に懸念しているような事態には陥ることはないのだろうと、本能的に感じていた。それはその人達が財界人だとしても政界人だとしても同じこと。きっと日米の間のそういう人達の間にも、公にはされない約束の数々が存在したのだろうし。
問題は、そういう人達が去った後。
イロイロな面での歯止が利かなくなるのではないか、とか。私達は戦争という過去を否定/非難しつつ、それが終結した後の不文律の恩恵を目いっぱい受けてきた「温室世代」なのではないか、とか。
そして、本当の意味での手探りの時代が始まるのだな、とか。
終戦の日を前に、蝉の鳴声を聞きながら、蒸し暑さの中でそんなコトを思いつつ。
|by Nagarazoku : 10:16|コメント (0)|トラックバック (0)|
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