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2006年08月16日
【
そろそろ、low impactを包括的な視点で考えるべきでは? 】
japan.cnet.comからの拾い読み。
日本の市場ではトヨタ自動車の「プリウス」に代表されるハイブリッド車がクリーンテクノロジーとして先行しているが、果たしてハイブリッド技術が「本命」かというと必ずしもそうとはいえない。
地球温暖化を抑える効果がある脱・化石燃料技術の最右翼にある「燃料電池車」や「水素自動車」の開発が進められているほか、温室効果という点では「差し引きゼロ」にカウントされる「バイオ燃料」の活用も検討されている。さらには燃費がガソリン車を上回るディーゼルの復権も考えられる。
[ 出典:ハイブリッドは本命か?:次代のクリーンテクノロジーを模索する日本の自動車産業@japan.cnet.com ]
japan.cnet.comさんの記事はあくまでも業界の現状をレポートしているものなので、記事そのものについてどうこう言うつもりはないので念のため。
何度も書いてるケド、アタシがこういうハナシを見聞きする度に言いたくなるのは、次代を考えているなら、もっとlow impactを包括的な視点で考えるべきだと言うこと。こういう技術偏重の傾向が強くなれば強くなるほど「見えないコスト or 負荷」がかかってくる。
もちろんその底辺にはシェアと収益の確保と言う、企業としての思惑があるのだろうが、あまりにハイプすぎるクリーンなイメージの刷り込みは、どう考えても美味しくいただけるものではない。
内燃機関をコアとした移動手段周辺の技術はそうでなくとも負荷が高い。それは単に一次的な生産高に直接関連したものだけではなく、その片鱗を支えている技術やそこでも否応なしに生み出されてしまうエントロピーが含まれている点も踏まえてのこと。そして二次的なものに視点を移してみれば、現在では常套手段となっている中古車輌の輸出。輸出と書けば正統なビジネスのように聞こえなくもないが、蓋を開けてみれば、体のいい廃品処理/押し付けにすぎない。法令や規制の整っていない諸外国へ、内国の規制に対応できなくなった中古車輌を横流しするのをメーカが黙認しているような状態では、何を況やであろう。
このことを考えれば、製品のライフサイクルはどこまでを指すのか、そしてメーカはどこまで責任を持つのか、という疑問に結びつく。もうこうなってくるとこれはハイブリッドだとかEVだとか小排気量だとかディーゼルだとかそういう話でもない。当然に燃料電池か水素エンジンかと言う問題でもなくなる。
そして環境規制に対して、各国が独自の法令で企業をしばりつけて解決するようなものでもない。そして、「結局、人間のやることなどこの程度…」っと、いつものように思ってしまう。文明は決して文化にはなりえない。技術はあくまでも補完するものであって、牽引/駆動するものでもないと言う事実を、誰もが見失ってしまっている。
お得意の文明批判が始まったと知ってる人は言うかも知れないが、別にこんなことはアタシがわざわざ言わなくてもレイ・ブラッドベリが
The Martian Chroniclesの中で1946年に指摘してることだし。どうして何時もそんな理想論ばかり追うのかと言われそうだが、「こんな時代だからこそ、理想論ぐらい追わなくてどうする」と、あえて言いたい。
ま、そういう自由な思想と発想こそが、人間を人間たらしめてると信じてるから。いや、もとい、それはニンゲン様に多少なりとも期待してるからなんだろうけどね。
|by Nagarazoku : 11:51|コメント (0)|トラックバック (1)|
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