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2006年03月15日
【
春と言えばハマグリ 】
昨日、少しカゼも抜けて「サボっていた家事を…」と思い、事務所を出た後そのままスーパーへ。さて、晩飯を何にしようかと思いつつ、温かくなったり肌寒くなったりで、何を作ろうかで少々悩む。
湯気立ち上る関東炊き(おでん)と思ったのだが、3月も半ばとなるとなんだかシックリとこない。かといって菜の花とモッツアレラのパスタじゃ、ナンだか背中がスースーして風邪をこじらせそうだし、と、アレコレ思いながら、カゴの中に適当に放り込む。結局、魚貝のパスタにすることにして、必要なものだけを買ってスーパーを出た。
次は、駅前の魚屋と八百屋へ。
八百屋で青物と茸を、向かいの魚屋でムール貝を…と、思いきや、美味そうなハマグリが目に入った。
子供の頃はハマグリを良く食った覚えがある。と言うか魚貝全般に良く食ったし。
生母と市場へ買い物へ行ったおぼろげな記憶の中でも、魚屋の威勢の良さだけは、いつも鮮明に蘇ってくる。会話の内容は全然覚えていないものの、生母が魚を指差して魚屋の兄ぃに何かを言えば、魚同様に活きの良いその兄ぃがその魚を店の奥へ「ポイっ!」と放り投げる。奥の方では板場に立っている職人が「さっ!」と手を伸ばし魚を受け止め、大きな俎板の上で捌くと言う段取り。魚が宙を舞い、お造りなり三枚下ろしになり姿を変え薄板で作られた船に乗って板場から出てくるのが子供ながらに面白かった。
おっと、回想にひたっててはイケナイ。
で、ハマグリ。
当時はそんなに高くなかったのだろう、何かと言えば吸い物で、そしてその具はハマグリだった。自分自身が子供だったからかも知れないが、子供の頃に見たハマグリはずいぶんと大きかったような気がする。でも良く考えてみれば、アサリの味噌汁も、シジミの味噌汁も良く食ってたので、子供の目とはいいながら相対的に比較しているはずだし、そんな生活の中で、見て食って実感して「ハマグリ=デカイ」の公式がアタマの中に出来上がっていたのだろうから、やはり子供の頃見たハマグリは大きかったはずである。干潟が無くなり、乱獲が進み、外来種が入ってきて、すっかり世代交代してしまったのかも知れないが。
美味そうなと書いたものの、こいつもやはり小ぶり。アサリとまではいかないが、やはりそばに置かれているアサリより一回り程度しか大きくない。ふっくらとはしているが…。チェリーストーン・クラム(Cherrystone Clam)とまではゆかなくても良いから、せめてもう二周り程度は大きな物があれば嬉しいのだが。
でもまぁ、旬のモノだし。せっかく3月だし、目に止まったコトだし。一船もらうことに。ハマグリから出る出汁は絶品だから、いつもとはチョイと毛色の変ったトマトソースに仕上がるだろうと、取らぬ狸の何とかを頭の中で弾きつつ家路に…。
モチロン、トマトソースに入る前に、潮仕立てでつまみ食いする事がアタシの役得だと言うコトは、わざわざここで言及するまでもない。

P.S.
そういえば、ハマグリでもう1つ思い出した。美味礼讃と言う本のコト。
ブリア・サヴァランの有名な「美味礼讃」の方ではなく、
海老沢泰久氏の美味礼讃の方。
今は無き辻静雄氏をモデルに、その半生を描いた「小説」である。辻静雄氏は、言うまでもなく辻調理師専門学校の辻氏。この本の冒頭で、ハマグリの入ったブイヤベースの話が出てくる。ハマグリの旨みを立たせようと、つい2つ3つ多く入れてしまった料理人「弱さ」を的確に指摘でき、軌道修正できるその味覚と話術。天分の才、英語で言うgift。辻静雄氏は自分に与えられたその才能を無駄にすることなく、人生を生き抜いた人なのだとこの小説を読んだ時痛感させられた。「真実は小説よりも…」と言う表現の事例のような生き方である。この冒頭のブイヤベース話の所為か、なぜだか、ハマグリを思うと美味礼讃がアタマに浮かぶ。

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