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2006年02月17日

【 言葉は道具であり、素材に過ぎませんヨ 】

さて、とりあえず波も去ったようですし、某紙の「ジャーナリスト宣言」キャンペーンに対する雑感を少し。

アタシ的なイヤミ口調で言えば:
新聞は

広告が多くて、

プライドが高くて、

時に無意味だ。

それでも信じている、

キミタチがジャーナリストだと。


脱広告費依存宣言
ナンチャラ新聞
ってなカンジで行ってほしかったですね。


って言うか、コピー1本でココまで熱くああだこうだと言われるだけ、アサヒさんの一挙手一投足が世間様からの注目を浴びてるってコトで、無意識の中でそれなりのポジショニングを得てるワケですよ、タブン…。

アタシがあの宣伝文句を初めて耳にしたのは、数週間前のコト。TVからドキュメンタリー映画のコピーかなってなカンジの台詞が聞こえてきたのです。それが件の「言葉は…」と言うアレ。自分再発見的な発想はAppleのThink Differenceや、日産のShift_ナンチャラと同じで、有りがちなパターンなんでしょう。

しかし新聞屋さんのキャンペーンのタグラインとして「ジャーナリスト宣言」はあまりにもイケてない。コピーは長ったらし過ぎるし、偉そうで、そしてあまりも大上段に構えすぎ。んだもんで、「別に宣言しなくても、アナタ達はジャーナリストではなかったのか?」と、突っ込みのひとつも入れたくなってしまうほど無意味に感じてしまったのです。

先にアタシが書いたイヤミは、大きくなった組織を維持するために、紙媒体に関しては広告への依存度がどんどん高くなってしまっている日本の新聞社の実体を伝えたいがタメに書いたモノです。

今の日本の新聞屋は広告局やらが牛耳り、軒先貸して母屋を取らた状態です。件のコピーも、そんな中で、自分達の存在価値を自分達で再認識するために、そして自分達のモチベーションを上げるために掲げてみたスローガンだとすれば、ま、それはソレなりに価値はありそうなんですけどね。それでも公の目にさらすようなモノではないでしょう。



ところで、プロフェッショナルってのは、自らの分野においては100%のシゴトが出来てアタリマエなんですよ。そして120%の結果を出しえるポテンシャルを持っているから、プロフェッショナルなんですよ。

そう考えてみても、アサヒさんの今回のキャンペーンやそのコピーは、言葉を扱うことを生業とする者、要するに言葉のプロフェッショナルである者があえて語るには、ものすごくハズカシイ内容のコピーです。

言葉は素晴らしい糸を紡ぐことも、その糸を使って艶やかな生地を織り出すこともできます。でも、言葉は道具であり、素材に過ぎません。結局、それをどう使うか、どう料るかは、それを扱うニンゲン様にかかってくるのだと、今回のコピー騒動でそんなコトを痛感したのです。

P.S.
チョト気になってるんですケド、どして127周年創刊記念日からこのキャンペーンなんですか?
127年目に何か意味があったんですか?
そのワケの方がよっぽど気になるんですケド…。

|by Nagarazoku : 00:18コメント (0)トラックバック (0)

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