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2006年02月10日

【 「言葉の力」デスカ? 】

「ヒトはそれぞれが持ちうる自己イメージどおりに行動する」としているM.フェルデンクライスは、この「自己イメージ」が遺伝、教育、自己教育の3つの三大要素によって形成されるものだと説明しています。
教育はひとつの言語を決定し、特定の社会に共通した概念と反応パターンを作り上げる。このような概念と反応は、生をうける環境次第でさまざまであろう。それらは種としての人間の特質ではなく、ある集団や諸個人の特質なのである。

中略

教育は強制される。自己教育といえども、幼児期には必ずしも意志によるものではなく、遺伝的性格、個人的特質、神経系の活動能力の相対的チカラ関係と、教育による影響力の強さと持続性に規程されるのである。

遺伝は、身体的構造、外見、動作の面で、われわれひとりひとりを独自の個人たらしめる。教育は、ひとりひとりを特定の人間社会の一成員にし、できる限りその社会の他のすべての成員と同じような人間にしようとする。また、言語をさずけて、他の成員と同じやりかたで自己表現させる。また、一定の行動様式と価値観念を植えつけ、自己教育の面においても、各人がほかのみなと同じ人間になりたがるような効果を発揮することを狙いとする。

中略

今日行われている教育の主要な欠陥は、教育がその均質化という目的を意識もせず明確にもしないまま、古くさく、原始的ですらある訓練方法にもとづいて行われていることにある。この欠陥にもそれなりの利点はなくもない。社会不適格者になることを望まない個人を型にはめこむだけで、それ以外になんら明確な目的をもっているわけではないので、教育が必ずしも自己教育を圧殺することに完全な勝利をおさめるとは限らないのである。しかしながら、教育方法がたえず改良されている先進諸国においてさえ、ひとびとの見解、外見、野望の類似性はますます強まっている。マス・コミュニケーションと政治的平等願望の発達もまた、今日いちじるしくアイデンティティがあやふやになりつつあることの重要な原因をなしている。
と、まぁこれ以上の引用は少々お題目と方向性が変わってきてしまうので、この濃い部分だけにとどめておきましょう。興味のあるヒトは色々漁ってみてください。

なんだか「ゆとり教育」ってのが撤回されるそうで、今度はキャッチコピーが挿げ替えられて「言葉の力」になるそうですね。「言葉の力」ってコトバに縋りたい。コトバのチカラにでも縋ってでもなんとかしたい、だから「言葉の力」ってワケだとすれば、「いやぁ、想いが込められてますね」と言えなくもありませんが。

文部科学省様曰く、「確かな学力をつけるための基盤という位置づけ」だそうですが、このような口先三寸的な方向転換を余儀なくされた過去の路線変更の経緯も踏まえて、「確かな学力」というものの定義について、詳細な説明を受けてみたい気がしないでもありません。

イニシエータとプロモータと言う関係があります。たとえば、癌細胞が胃壁にできたしたとしましょう。もちろん小さな潰瘍と仮定してもかまいません。実は放っておけば、物理的な刺激を与えなければ、心が平穏であれば、その細胞や潰瘍が何も悪さをせずに消え行く確立は、かなり高かったりします。誰も、本人すらも気が付かず、消え去ります。ところが、暴飲暴食をしたり、心の平穏が乱されたりして、直接的な刺激や神経系を介した内分泌系の乱れが発生すると、それらの細胞や潰瘍はよからぬ方向へと進むベクトルを変えてしまいます。これがイニシエータとプロモータの関係です。

この関係/構図は、こういった細胞の成長のメカニズムだけでなく、あらゆるモノにも当てはめることができますね。たとえば教育です。

今取りざたされている「基礎学力の低下」と言うものが、本当に「ゆとり教育」だけの責任かと言えば、決してそうでないように思えるのです。円周率がドエライことになってしまってたりするのを考えれば、そのプロモータとしての実績はなかなかのものだと評価できなくもないですが、それだけで学力が下がるとはとうてい考えられないのです。

この発想から四半世紀。その間に国民全てが中流だと皆で踊った時代も、失われた10年と言う時代もありました。あらゆる面で利便性が高まり、「待つこと」の意味が薄れて行った四半世紀でもあったような気がします。以前の「詰め込み型」と呼ばれていた教育が行われていた頃とは、社会そのものが全然違うのです。こういった時代背景を考えてみれば、感受性の豊かな子供たちが育つ環境としては、こういう社会的環境の変化の方が、プロモータとして大きく影響を及ぼしているのではないかと、そんな風に考えてしまうのです。

アタシの世代は正に「詰め込み型」でした。だからと言って、みんながそれなりにデキたと言う感じもありませんでしたし、できるヒトはやっぱりデキてました。塾通いだって普通にありましたし。方やゆとり型になった後の子供達に目を向けてみても、塾通いする子供が減ったとは耳にしませんし、それなりにコミュニケーションも、社会的な適応もできているような気がします。

経済的な格差の中で、教育におカネをかけることができる家庭と、そうでない家庭で、ベースラインに差異が生まれてしまったのは事実でしょうが、これは直接に「ゆとり型」の所為ではありませんし…。そして「ゆとり型」の中に置かれていても、やるべきこと以上のコトをやってきた人たちだって存在してるワケですから、一概にゆとり型が失敗だとか、そんな風には思えなかったりもするのです。

今回のこの方向転換も、なんだかキャッチコピーだけ差し替えて、後は現場負担と言うことになりそうな、そんな感じが無くもありません。

問題は、「社会の構成員として人間が機能するのではなく、社会を道具としてどのように上手く活用してゆくかと言うコトを、キチンと教えてないことじゃないかなぁ」と、そして「社会と言う道具はまだまだ未完成で、自分達の手で改良を続けてゆかねばならないと言う、根本的な課題を伝えてないことじゃないかなぁ」と、ゆとりの世代を横目で見ながら働いてきたアタシは、そんな風に漠然と思い続けていたりするのです。

|by Nagarazoku : 10:48コメント (3)トラックバック (1)

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» 「言葉の力」 from いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」
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トラックバック時刻: 2006年02月13日 19:49


▼コメント(スパム対策のため、半角英文のみのコメントは受け付けていません。悪しからずご了承ください。)

こんばんは。記事を引用させて頂きました。何だか難しい問題ですし、「言葉の力」ってのもどうなんだろうな、と思いますが、スローガンだけが非難の対象とされるのが目に見えていそうで・・・

保守回帰路線的な感じもしないではないですね。日本語は大事だということは誰しも反対ではないと思うのですけれど・・・

投稿者 まさくに : 2006年02月12日 00:29

>まさくに様:
コメントとTB、アリガトウゴザイマシタ。

エントリも読ませていただきました。

「万事が対症療法的」とは、正にその通りですね。

年金問題しかり、少子高齢化問題しかり、天下り問題しかり、構造計算書問題しかり、地方財政問題しかり、その他諸々…、ちょっと考えただけでもキリがありませんね。ホント、「問題が表面化しなければ動かない」っちゃぁその通りです。チョイとシミュレーションすれば「やばいよね…」と判る問題ですらも、放置プレイがまかり通ってきました。多少景気が悪くなっても、右肩上がりの時代はそれでもなんとかなってきたんでしょうね。

「言葉の力」の「言葉」が、母語として日本語を大切に扱ってゆくことを指すのか、それとも常に円滑で、思慮深く、そして時には大胆なコミュニケーションを実現するためのスキルを身に付けさせることを指すのか、アタシには今ひとつ掴めていませんが、どちらにせよ官僚が引く青図には、やはりどこか他人事を扱うような、そんな印象を受けてしまいます。

「言葉の力」より、「考える力」とかの方が、案外説得力があったりして…。

投稿者 Nagarazoku : 2006年02月12日 16:26

初めまして。

>口先三寸的な方向転換を
仰る通りですね。スローガン考えてる暇があったら、まずあんたら(官僚)が「言葉の力」付けなさいよと言ってみたくもあり(笑)
「言葉の力」を幼少から付けてきてお勉強よく出来た筈の官僚の言葉のなれの果てが、形骸化された「ごまかしレベルMAX」の言葉じゃぁどうしようもないですね・・・人のことは言えないけれども。。。

>「万事が対症療法的」とは、正にその通りですね。
「万事が対症療法的」、且つ「前例主義」っていことは、やっぱ頭が固いってだけなんですかね(苦笑)まぁ行政って本来そういうものなのかもしれないですけど。

投稿者 ncd108 : 2006年02月14日 03:24




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