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教育はひとつの言語を決定し、特定の社会に共通した概念と反応パターンを作り上げる。このような概念と反応は、生をうける環境次第でさまざまであろう。それらは種としての人間の特質ではなく、ある集団や諸個人の特質なのである。と、まぁこれ以上の引用は少々お題目と方向性が変わってきてしまうので、この濃い部分だけにとどめておきましょう。興味のあるヒトは色々漁ってみてください。
中略
教育は強制される。自己教育といえども、幼児期には必ずしも意志によるものではなく、遺伝的性格、個人的特質、神経系の活動能力の相対的チカラ関係と、教育による影響力の強さと持続性に規程されるのである。
遺伝は、身体的構造、外見、動作の面で、われわれひとりひとりを独自の個人たらしめる。教育は、ひとりひとりを特定の人間社会の一成員にし、できる限りその社会の他のすべての成員と同じような人間にしようとする。また、言語をさずけて、他の成員と同じやりかたで自己表現させる。また、一定の行動様式と価値観念を植えつけ、自己教育の面においても、各人がほかのみなと同じ人間になりたがるような効果を発揮することを狙いとする。
中略
今日行われている教育の主要な欠陥は、教育がその均質化という目的を意識もせず明確にもしないまま、古くさく、原始的ですらある訓練方法にもとづいて行われていることにある。この欠陥にもそれなりの利点はなくもない。社会不適格者になることを望まない個人を型にはめこむだけで、それ以外になんら明確な目的をもっているわけではないので、教育が必ずしも自己教育を圧殺することに完全な勝利をおさめるとは限らないのである。しかしながら、教育方法がたえず改良されている先進諸国においてさえ、ひとびとの見解、外見、野望の類似性はますます強まっている。マス・コミュニケーションと政治的平等願望の発達もまた、今日いちじるしくアイデンティティがあやふやになりつつあることの重要な原因をなしている。
|by Nagarazoku : 10:48|コメント (3)|トラックバック (1)|
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このリストは、次のエントリーを参照しています: 「言葉の力」デスカ?:
» 「言葉の力」 from いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」
先日、日本語教育のお話がブログに散見されたのですが(内田先生のトコとか、finalventさんのとことか)、文科省が「ゆとり教育」から「言葉の力」へ方針転換とい... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年02月13日 19:49
こんばんは。記事を引用させて頂きました。何だか難しい問題ですし、「言葉の力」ってのもどうなんだろうな、と思いますが、スローガンだけが非難の対象とされるのが目に見えていそうで・・・
保守回帰路線的な感じもしないではないですね。日本語は大事だということは誰しも反対ではないと思うのですけれど・・・
投稿者 まさくに : 2006年02月12日 00:29
>まさくに様:
コメントとTB、アリガトウゴザイマシタ。
エントリも読ませていただきました。
「万事が対症療法的」とは、正にその通りですね。
年金問題しかり、少子高齢化問題しかり、天下り問題しかり、構造計算書問題しかり、地方財政問題しかり、その他諸々…、ちょっと考えただけでもキリがありませんね。ホント、「問題が表面化しなければ動かない」っちゃぁその通りです。チョイとシミュレーションすれば「やばいよね…」と判る問題ですらも、放置プレイがまかり通ってきました。多少景気が悪くなっても、右肩上がりの時代はそれでもなんとかなってきたんでしょうね。
「言葉の力」の「言葉」が、母語として日本語を大切に扱ってゆくことを指すのか、それとも常に円滑で、思慮深く、そして時には大胆なコミュニケーションを実現するためのスキルを身に付けさせることを指すのか、アタシには今ひとつ掴めていませんが、どちらにせよ官僚が引く青図には、やはりどこか他人事を扱うような、そんな印象を受けてしまいます。
「言葉の力」より、「考える力」とかの方が、案外説得力があったりして…。
投稿者 Nagarazoku : 2006年02月12日 16:26
初めまして。
>口先三寸的な方向転換を
仰る通りですね。スローガン考えてる暇があったら、まずあんたら(官僚)が「言葉の力」付けなさいよと言ってみたくもあり(笑)
「言葉の力」を幼少から付けてきてお勉強よく出来た筈の官僚の言葉のなれの果てが、形骸化された「ごまかしレベルMAX」の言葉じゃぁどうしようもないですね・・・人のことは言えないけれども。。。
>「万事が対症療法的」とは、正にその通りですね。
「万事が対症療法的」、且つ「前例主義」っていことは、やっぱ頭が固いってだけなんですかね(苦笑)まぁ行政って本来そういうものなのかもしれないですけど。
投稿者 ncd108 : 2006年02月14日 03:24