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2005年11月29日

【 欠陥は耐震構造だけなのか 】

今回の鉄筋の間引きの問題、社会の構造的な問題の軋轢が跳ね返ってきた、ほんの一例ではないかと、わざと論点をすりかえてみる。たまたま建築の耐震設計という人命に関わる課題であり、個人が多大な資産を投資したこともあり、大きく取り上げられているが、本当の問題の根っ子はそこじゃないと言いたいワケだ。

別に建築でなければ、人命に直接関わらない業種であれば、日常茶飯事な川下に対するこの手の「圧力」なんぞはここまで大きく取り上げられることもあるまい。橋梁の螺子1本見ても、印刷出版業やソフトウェア開発の現場を見ても、ダレでもそんなコトはわかる。多かれ少なかれ、自分が川の流れの中に居てるのだから。

川上からの無理強いや値切りはアタリマエ、と言うか、それが川上の仕事の一環であったりもするワケだ。そして当然のごとくそれに応えるために、「安い、早い、美味い」という謳い文句で仕事を請けるのが川下の基本。

建築物の耐震構造の場合は、たまたまその成果物の中で人が生活を営むと言う点で、大きく取り上げられているだけ。結局のトコロ、欲が生み出す社会の構造的な問題。

安いのには訳がある、早いのにも訳がある、美味いというのは、絶対的にはあくまでも先の2つの理由の範囲内で美味いだけ。そいつを相対的に当事者がどのように感じるかは、当事者の勝手。謳い文句で騙されるも良し、理由を知っていて妥協するも良し、疑いを持って危うきに近寄らず賢明に行動するも良し。

と、こんなトコロで言ったところで耳を傾ける人などおらず、行政の側も責任のなすりあいを解決させ責任の所在を明確にしたなら、後は司法側でやってもらおうという姿勢がミエミエだったりする。

下請け泣かせが経済の二極化の源流だとは言わないが、その要素の一つであることは事実だし、結局、その二極化こそが基礎の甘い、安定性の無い社会構造を作り出してるってコトにダレも言及しないのが、これまた不思議な現象、と言うか、ダレでも自分さえよければ良いと言う利己的なDNAの成せるワザなのか。

こういったコトを見ていると、ニンゲン様も人間的な優しさを撤廃して原点回帰を目指しているようですな(と、婉曲表現で皮肉ってみる)。

|by Nagarazoku : 10:01コメント (0)トラックバック (2)

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