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2005年10月22日
【
あえて無題 】

あえて無題なエントリです。
別段イタリア車に思い入れがあるワケでもないし、あこがれがあるワケでもアリマセン。当然イタリアの車に乗ってたこともない。これから先も乗ることは無いと思います。
でも、こういう曲線の美しさを見せられたら素直に「う~ん」っと思ってしまいますヨ。アタシのアタマの中の怪しい記憶の糸をたぐれば、たぶん70年代中ごろのクルマではないでしょうか、コレって。
なんなんでしょうかねぇ、この造形美って。美術品とかそういうものの造形美ではない、工業製品としての造形美とでも言うのでしょうか。車と言う道具のハズなのに、道具じゃないというか、日本人的な視点で見れば遊び心があるケド、当の本人達は大真面目で生み出した結果が必然性を備えてコレだったりするのでしょうが。
こういうのって、その時々の時代とかってのもありますよね。その時代のその国が生み出せるチカラとでも言うのでしょうか。アメリカの車や工業製品が全世界的に「う~ん」だった時代。日本の工業製品が全世界的に「う~ん」だった時代(別に成仏してしまったSONY製品の栄光を皮肉ってるワケは無いですよ)。
今はどこの国のモノを見ても、右を見ても左を見ても「ふ~ん」くらいしか感じません。タダ単にアタシが歳をとってしまったダケなのか、モノが溢れすぎてるダケなのか。それでも、後世の方々には「う~ん」っとなるのか。
イタリアが、コンスタントに「う~ん」に近いカタチを生み出してるのは事実なんでしょうケド、やはりこの時代のモノに比べたら、雲泥の差があるようなそんな気がします。今のイタリアの車も街ですれ違った瞬間に素敵に見えるコトもありますよ、でも、こういう「う~ん」は無い。
チョット変な表現かも知れないケド、現代の物って過去の物を追いかけてるような、そんな感じすら受けちゃいます。ひょっとしたら先進国と呼ばれ(自分たちが勝手にそう呼んでるに過ぎないんですケドね)てる各国の傾向が、この方向性のような気がしないでもないような無いような。懐古主義ではないけど、実はスタイルとしての懐古主義とでも言うのでしょうか。タダ単に過去に引きずられてるダケなのか。
別にナニが言いたいワケでも、今の傾向を否定してるワケでもありません。とりあえず妙なスタイルや模倣に走ってる時代に生きてると、朽ちてゆく、こういう曲線を素直に愛でる余裕が欲しいよなぁと、たそがれ時に思ったのです。

P.S.
愛でるつながりってことで、目から入ってきた情報をどのようにお脳はどんな風に処理してるのかの解説はこちらの本を参考にしてみてくださいな。セミール ゼキ の「
脳は美をいかに感じるか」です。
とっつきにくいお題で堅苦しそうに見えますが、なんのなんの、面白い読み物です。大脳生理学だとか、そういう重たい内容でもありません。視覚芸術がなぜ視覚芸術たりうるのか、そのカラクリの裏側とでも言いましょうか。
章の切り方も計算しつくされたように、丁度良いトコロで休憩して思考を切り替えるコトを促すかのように、キチンと分かれています。仕事の合間に、お茶をすするように、コーヒーカップを手にするように、紫煙をくゆぶらせるように読めちゃいますよ。機会があれば、お試しあれ。
|by Nagarazoku : 00:02|コメント (0)|トラックバック (0)|
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