≪ 大葉の花 |メインページへ戻る| ユニクロは作り直せるのか ≫

2005年09月25日

【 HELIOS SL到着 】

newly arrived my DAHON注文してからキッチリ4日目に2005年型、HELIOS SLが到着。残念ながら台風と前線の影響で外は雨なので「乗った感」を伝えることができない。走行性に関するインプレッションはとりあえず先送りにするとして、すでに我が家の住人である2004年型のHELIOS SLとの差異を画像を交えながらお伝えしたい。

2005年モデルも前回同様にDAHONの箱に詰められてアタシの手元に届いた。自転車の入っているダンボール箱と言えば、20インチの折りたたみのものでもかなりの大きさを想像されるかも知れないが、8畳敷きのホットカーペットが入ってくるダンボールを想像してもらえばいい。それでも中を開けるとかなりの余裕がある。要するに折りたたまれた状態のHELIOS SLはかなり小さい。ちなみにアタシの家では押入れの下段に、横幅35センチ程度の幅を確保して収納している。恐らく収納時の大きさは、DAHONの他の20インチもでるにもほぼ共通する要素だろう。Presto Liteのように16インチのものなら、若干ではあるがこれよりも更に小さくなるわけだ。

ダンボールを開けて最初に目に飛び込んでくるのが、鮮やかな彩りのタイヤ。オレンジがかった黄色のストライプが見た目の軽快さを演出しているこのタイヤは、SchwalbeのSTELVIO(シュワルベのステルビオ)。本気モデルと呼ばれているDAHONが出している20インチの最上位機種であるSpeed ProとJetStream XP、そしてこのHELIOS SLや700CモデルのALLEGROもこのタイヤが標準で装備されていることから、そのポテンシャルが街乗り程度では必要にして充分なものであることがうかがえる。空気圧さえ適正に保たれていれば少々ラフな扱いをしてもガッチリと路面を受け止めてくれるし、ドライな路面であれば極限状態での滑り出しも把握しやすい(あくまでも経験値を書いているだけであって、街中や公道での一般走行で、そのような乗り方を推奨しているわけではないので、念のため)。

ところで鮮やかな彩りと言えば、JetStream XPとHELIOS SLに関しては車体全体の色合いもタイヤの色と同様の黒とオレンジがかった黄色で統一されている。標準の装備されているSDGのBelAir FXサドルも、上部から見た中央の縫い合わせ部分が同様の黄色(メーカのサイトの画像は、何故かこの部分がグレーである)なので、特殊形状シートポストのI-Flex(銀行向けのソフトウェア・ベンダのi-Flexとは関係ない)と相まって、とても精悍でレーシーな面構えを見せる。

手前が2004年モデル、後が2005年モデル2005年モデルと2004年モデルのHELIOS SLは双方ともに上述の色合いなのだが、決定的に異なっているのがチェーンリングとRディレイラのそれ。軽快で信頼のおけるレスポンスを示すSRAMのX-7が装備(ツイスト・シフターに若干の渋みが残るのはご愛嬌)されているのだが、2004年モデルはその色が艶消しの黒、2005年モデルは鋳造の結晶面そのままの銀色。どちらの色合いが良いかは好みにも左右されるだろうが、銀色の物は鋳型そのものの粗さが目だってしまう。

X-7でもその性能は充分なのだがこういった部分が見え隠れすると、やはり兄貴分のX-9と比べてしまわざるをえない。同じX-7でも2004年モデルに装備されていた艶消しの黒であれば、そういった粗さも隠せたのだが。

2005年モデルではRディレイラが銀色になったかわりに、チェーンリング(正確にはカバーだ)に黒のものが奢られている。奢られていると書いたのは、この部分は明らかに2005年モデルに装備されているものの方が質感も仕上げも良いから。2004年モデルでは単なる軽合金のチェーンリング・カバー。切削面の仕上げもはっきり言って悪い。両面からチェーンリングを挟み込んでいるあたりも、無意味に思えた。正直言って2004年モデルはこの部分を見ただけで、少々引いてしまう部分もあった(銀色で目立つ上に、仕上げが良くないのだから)。2005年モデルではこの部分がすっきりした。使われているクランク自体はTRUVATIVの同じ製品であり、色も黒なので変わりはないのだが、2005年モデルについている瀟洒な(瀟洒と呼んでも差し支えない仕上がり)チェーンリング・カバーは良く出来ている。化粧切りされた部分の仕上げも前年モデルのアレはなんだったのかと問いたくなる程の仕上がり。外側のみに装備され、もちろんチェーンリング・カバーとしての機能も果たすから、ジーンズやチノ・パンツの裾を「あまり」気にせず乗ることができる(ひょっとすると内側のカバーを廃止したのは、「来年は前のギヤ板が2枚になるよ」ということを匂わせているのかも知れない。それはそれで楽しみではある)。

手前が2004年モデル、後が2005年モデルさて、2004年モデルと2005年モデルにおける折りたたみ機能に関する大きな差異は、なんと言ってもFusion technologyの特許を利用したステアリング・ヘッドとハンドルポスト周りの構成の変化だとろう。べつに2004年モデルをけなすわけではないのだが、2004年モデルではどうしてもステアリングヘッド周りに軋み音が発生した。ベストなセッティングを行えば数時間程度の走行に関する限り軋み音はでないのだが、やはりそこから先ではチカラをかけるとどうしても聞こえるか聞こえないか程度なのだが軋みを感じる。そしてヘッド小物の緩みも早い(勿論どのような乗り方をしているかにもよるのだが…)。Fusionの特許によるRadius式のハンドルポストは劇的にこの問題を解消してくれる(らしい)。まだ乗ってないので詳細は書けないが、確かにアレコレと可動部を動かしてみてみた感じはよかった。ステムを上下させるためのクランプを割愛したことに関しては賛否両論があるが、強度面や長期に渡って使用した場合の金属疲労を考慮すれば妥当な解決策ではないだろうか。

この変更に伴い、ステアリングヘッドから上は従来の内折れ式から外折れ式に変更され、折れた部分をフレームに固定するノッチも追加されている。ステアリングヘッドから上は自転車のフレームを真ん中で折った際、従来のように内側でフレームの前部分と後部分に挟まれず外側でむき出しとなる。可搬性や収容性の問題は生まれないのだろうが、搬送時に手荒に扱われた際(空港のラゲッジ・クレームなど)の事を考えたら、少し不安になる構造とも言える。カーボン製のハンドルバーが折れてしまう程の衝撃であれば、その場で文句のつけようもあるのだろうが、上から押された重みでハンドルポストが微妙に変形してしまうなどの問題が出なければ良いのだが。

段差が付いたCARBONLITEカーボン製のハンドルと書いたが、ハンドルバーの形状も2004年のものと大きく変化している。それまではフラットバーだったのだが、2005年モデルからはポストが上下しなくなったこともあり、その埋め合わせを少しでもするために段差が付いている。表面の仕上げも艶消しから艶有りに変更され、見た目の高級感は出ている。ただ、2台並べてみると、2005年の方がポストの位置が高く、2004年モデルで目一杯ハンドルを低い位置で使って前傾姿勢で使っていたアタシとしては若干の不安が残る。あと、ハンドル周りで目を引くのはブレーキレバー。同じSRAMのものでも、AvidブランドのFR 5に変わっている。2004年モデルはSRAM 7.0が付いており、クランプ部を含めたボディが合成樹脂だっただけに、落車時などの衝撃での破損が心配された(もちろん見た目もそれなりだった)。AvidのFR 5はメーカ側のランク付けでは上位の製品ではないものの、操作感もダイレクトで良い。ボディ部がスマートな軽合金製で見た目にも締まりが出た。

部屋の中でごそごそといじくりまわしてみた感想は以上のようなものだったが、今回この2台を比較してみて、DAHONと言うメーカは常に進化を求めているのだとつくづくそう思った。単なる変化や場当たり的なバリエーションを生み出すだけの作業であれば容易い。そういう安易な方向に流されず、要件を固めて生み出した製品のバグ取り続け、毎年きっちりと進化、要するにバージョンアップを行っている同社の姿勢は、ものづくりの正しい方法のひとつだと思う。

手前は2005年モデルを折りたたんだもの今はもう過去の話になってしまうかも知れないが、日本製品がそう賞されたように「完璧に完成された」製品を送り出すのも、ものづくりの正しいい方法のひとつだと思う。

どちらの方法にも長所と短所がある。しかし市場に応えるためには、自らの長所を伸ばすことだけをを考える時代は終わっているのかも知れない。time to marketを意識しなければならない実情を考えれば、短所を差し引き、求められている最小限の要件を固められるチカラが問われているような気がする。DAHONは引き算を心得て、そして上手に足し算の生かしている数少ないメーカなのだろう。製品としてのものづくりは、掛け算では弾き出せない、そして割り算では割り切れない、そういったstep by stepを大切にする心構えが必要なのだろう。

P.S.
自分が持っているわけでも使ってるワケでもないので偉そうには書けないのだが、iPodがその良い例ではないだろうか。iPodが市場に登場した時、既に他のメーカは物理的に同様の製品を出していた。問題は、他社の製品が操作性やデザイン、そしてブランディングも含めて、求められていた最低限の「要件」を満たしていなかったことなのではないだろうか。そういったコア(あえて製品のコア・コンペテンシと言う言葉は使わない)な要件さえ満たしてさえいれば、あとは代を重ねて、進化させることが可能だ。そしてその過程で、従来のセグメンテーションとは合致しない、別の潜在顧客の心をつかむことさえできる。

方や最近のSONY、特に記憶装置を内蔵した携帯用の音楽再生器をみていると完璧を目指しすぎて、外した後の収集が追いついていないような気がする。あれほどまでに気合を入れた新生Walk-manシリーズの登場から半年で、スカっとiPod nanoに出し抜かれるとは。一瞬笑える話だよなと思ったが、日本の物作り全体がああじゃないのかと考えたなら、かなり背筋が凍る思いがした。

[ 追記 ]
追記の追記になってしまうが、夕方になって陽が出たので小一時間ばかり近所を乗ってみた。初期馴染みが出るまで、やはりステアリングヘッドまわりからの「パキパキ」音は出る。これは想定の範囲内。そんなことよりも、2004年モデルとくらべて2005年モデルではハンドルが遠くなってしまっていることの方が問題。その裏返しで、直進安定性は2004年モデルに比べてすこぶる良くなっている。ニュートラルなステアバランスも20インチの小径車にして良くしたものだと感心する。小径車だと両手を放しての運転にはなにかと神経質にならざるをえないものだが、2005年モデルのHELIOS SLではそんなことを意識せずに乗れる(手放し運転を推奨しているのではないので、念のため)。

問題のハンドルの遠さだが、バーをめいっぱい手前に倒した状態で、ステアリングヘッドを2004年モデルとそろえてみても、どう見てもバーの直径分だけ遠くなっている。ステアリングヘッドからハンドル・バーを固定しているクランプ部までの傾斜も、2004年モデルにくらべて前のめり(BD-1程ではないと思うが)になっている。おそらくこのへんジオメトリの変化が、ステアリングの感覚とのトレードオフになって現れているのだろう。172センチの身長で、どちらかと言えばリーチの長いアタシで少し遠く感じるハンドル・バーまでの距離が、果たして他のライダーにはどのように受け止められているのだろうか。大柄な人にとっては朗報であることだけは間違いない。

それから、折りたたみ時にハンドルポストを止めているノッチだが、フレームに取り付けられている部分にガタがあった。このノッチの雌側は、フレームのダウンチューブ下部にプラス螺子2本で締められている。雄側はハンドル・ポストの中央部。問題のガタの出ていたノッチ部分は雌側の方。螺子自体はキッチリとトルクがかかるところまで締めこまれていたので、組み立てラインでのミスではなくダボ側の精度の問題ではないだろうか。帰宅後、プラス・ドライバーを使って手で閉めこむとガタはなくなった。ノッチ自体は締め込んでもきっちりと機能しているので、ガタがある方が正解だとは思えない。他のオーナーの方の車輌ではどのような状態なのだろうか。

上述のノッチの雌部分を増し締めしている時に、もう1つ重大な発見をした。2004年モデルまではダウンチューブの下部にボトルゲージ用のダボが用意されていたのだが、2005年モデルでは割愛されていた。たしかに、利用価値の少ない取り付け位置で、評判はすこぶる良くなかったのだが、いざなくなってしまうとちょっと寂しい気がした。

その他2004年モデルとの違いはギヤレシオ。2005年モデルの方がワイドレシオに設定されている。また、これはロット毎での差異があるかも知れないのだが、アタシの物はフリー・ホイールのラチェット音がやたらとうるさい。往年のニュー・ウイナーを髣髴させる。

今日、気がついたのはこの程度だろうか。

|by Nagarazoku : 00:02コメント (2)トラックバック (0)

トラックバック・スパム対策のため、このBLOGへのリンクを持たないページから送られたトラックバックは自動的に拒否されます。悪しからずご了承ください。
また、このエントリと全然関係の無い内容のページからのトラックバックは、アタシ的な判断で勝手に削除します。これも又、ご了承くださいマセ。

■このエントリーのトラックバックURL ≫ http://www.nagarazoku.com/mvt/mt-tb.cgi/298



▼コメント(スパム対策のため、半角英文のみのコメントは受け付けていません。悪しからずご了承ください。)

こんにちは。男の人の典型的な「メカもの」のご趣味をお持ちなのですね(笑)。
ですが、高価な自転車なのですよね?私は全く判らないのですけれども。都会では高級自転車の盗難が多いと聞きますので、気をつけて下さい。

「もの作り」はある意味伝統とか文化を含みながらも、次の時代にチャレンジするスピリットが求められるのかなー、と何となく思います。何十年、何百年の歴史を持つメーカーなどは、そういうことの積み重ねなのだろうな、と。それが出来なくなったら人々の記憶から消されていくのかな、と。利益追求よりも、人間の魂が優位な領域なのかもしれません。

伝統企業群のブランド品の中にはそういう面が窺われるような気がします。

投稿者 まさくに : 2005年09月25日 11:51

> まさくに様:

コメント、アイガトウゴザイマス。

確かに、ものづくりの本質は、利潤や利益の追求と言った経済的な側面にあるのではなく、その時代の社会や生活に応えるということだと、魂の語りかけに応えるようなものだと思います。この「応える」がチャレンジなのでしょうね。

今の時代は、自らの過去の成功を繰り返そうとしたり、利潤の追求だけに走ったり、何かを継承し、磨いてゆこうという意識が希薄になっているような、そんな気がします。

投稿者 Nagarazoku : 2005年09月26日 09:44




保存しますか?