≪ ジレンマに陥りつつあるのは確か |メインページへ戻る| Jonathanの日記の更新停滞が気になる ≫

2005年07月15日

【 下駄の功名 】

誤植ではない。「ケガの功名」ではなく下駄の功名である。実はアタシ的に下駄が流行っているのである。ともすれば、今後メレルのメッシュ・スリッポンと同様に足元を固める定番になるかも知れないホドの高得点をマークしていたりするのだ(視野狭窄的なアタシの感性の中でだけのハナシなのだが)。本来であればいつものように画像を添えてオハナシを進めたいところなのだが、なにぶんモノが履物だけに足に履いてないとサマにならないし、足タレには遠く及ばないアタシの不細工な偏平足および脛を晒すのはとてもじゃないが申し訳ないので、今回は画像ナシ(ホントウは撮影したが、やはり鑑賞に堪えないので、即メモリから消去した)。

下駄の素材は桐。もう、その肌触りと言ったらstickyな日本の夏も足元だけは気分爽快なのである。バカバカしぃ例えかも知れないが、。で、草履を履こうが、ナイキやティンバーランドの洒落たアウトドア・サンダルを履こうが、足の裏には湿気を含んだ「ベタつき」感が残る。リノリウムや普通のフローリングの上を素足で歩いてもその手の感覚は残る。これが桐の下駄だと全然ないのだ。あぁ~ら不思議、足元だけ冷房でも入ってるんですか(言いすぎか…)ってな状態になる。足元が快適だと、なんだかキブンもスッキリして、暑さも少し和らいだように感じるから下駄の功名はダテではないのだ。

ここまで桐の下駄を吹聴しておいて、あたかもジブンが探し出して買ったようにハナシを進めているが、ナンのコトはない他界した親父の隠居屋の下駄箱を片付けてたら、まっさらな会津桐製の本柾目の下駄が出てきたのである。物珍しさも手伝い調子をコイて履いてみて、しっかりハマってるのである。デモこれは良いハマり方だと思う。

下駄を履くと足の指もしっかり開くし、5本の指全てを使って立ってるってコトを実感できる。しかも適度な振動が伝わってきて、案外路面の状態を把握しやすかったりする(把握してどうするワケでもないのだが)。歩くときの姿勢が良くなるような「気」もする。短パン、Tシャツ、鬚面、短髪で下駄を履いて歩いているとどういうワケか歩道が歩きやすかったりする(多少変なヤツに見えるらしい)。カラコロと鳴る音が都会の喧騒の中で生活してることを忘れさせてくれたりする。っとまぁ、書き出すと良いことずくめじゃないですか。やはり桐の下駄は我が家の新定番に決定デス(さすがに、シゴトする時に事務所や得意先へは履いて行けないが…)。

P.S.
そう言えば、我が家の家紋も桐紋だったりする(五三の桐とは違うのだが)。妙なトコロで桐つながり…。

|by Nagarazoku : 00:09コメント (0)トラックバック (0)

トラックバック・スパム対策のため、このBLOGへのリンクを持たないページから送られたトラックバックは自動的に拒否されます。悪しからずご了承ください。
また、このエントリと全然関係の無い内容のページからのトラックバックは、アタシ的な判断で勝手に削除します。これも又、ご了承くださいマセ。

■このエントリーのトラックバックURL ≫ http://www.nagarazoku.com/mvt/mt-tb.cgi/190



▼コメント(スパム対策のため、半角英文のみのコメントは受け付けていません。悪しからずご了承ください。)




保存しますか?