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「たかがブログ、そんなにちゃんとしなくても自分が楽しけりゃいいんじゃない?」という意見もあるだろう。しかしそれは、広く公開されちゃうのである。出すのも勝手、見るのも勝手のままでは、あまりにも無責任すぎるだろう。個人のweBLogなんだから好きに書いたら、好きに表現したらエエやんか…、っとアタシは思ってしまったのだが。
|by Nagarazoku : 10:22|コメント (10)|トラックバック (2)|
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トラックバック時刻: 2005年06月14日 14:06
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トラックバック時刻: 2005年06月14日 23:51
こんにちは。あっ、こんばんはですね。
ご意見は当然と思います。文章書いて、対価を貰うわけでなし、特別に誰かに読むのを強制するわけでもないので、自由でいいですね。
文筆業の方々は、「書いて食ってる」的な発想があって、そういう見方をしてしまうのではないでしょうか。しかも、プロが読んでも「面白いな」とか「いいこと書いてるじゃねーか」みたいなのに出会ってしまったら、「立場がない」と(笑)
読ませるのも、内容的にも、結構素晴らしいものに出会うことがあります。「これが無料かよ」的なお得感がありますね。論壇系の雑誌などよりも、優れた内容も見られますし。コラムとか雑誌の紀行文などと引けをとらないとか・・・玉石混交でしょう。自由が一番と思います。マナーや倫理が保てるなら、特別非難される謂われはないと思います。新聞コラムのネタにしても、結構ブログ読んで書いているものがありますよ、多分。
投稿者 まさくに : 2005年06月14日 19:57
インターネットによる恩恵の1つは「多様性」だと思います。従来のメディアは商業的に最大公約数的な内容でなければ流す意味がないので、そういう内容になるようフィルターがかかってしまいますが、ネットでは見てくれる人の数を考える必要がないため、メディアでは切り捨てられていた情報なり思考なりを「公開」することができたのです。
それでもブログが出来る前は、HP作成にはやはり多少の敷居があったのが、ブログのおかげで誰でも自由に自分の思うところを公開できるようになりました。まさに「多様性、ここに極まり」って感じです。
正規分布で言えば、メディアは1σ以内、ブログは1σから3σのもっと先までですね。
メディアの中心付近にいる人にとってはそういうネットの恩恵にあやかった「多様性」の申し子であるブログというものは、まさにagainstな位置関係になるのでしょうね。
投稿者 エントロ : 2005年06月14日 22:59
はじめまして。
いえ、小寺信良氏はそういう事を言ってない気がしますけど。。。
そこまで書くと、既に事実と全然変ってる気がしますよ~?
実際、ホントに記事をコピペだけしてるのって、多いですよね。さらに、自分のコメントはゼロとか。
それは、意見でも何でもなく、ただの盗用にしか見えないって私も思ってるんです。
ただ、そう言う事に関しても、全てを否定している文言じゃなかったと思いますというのが、わたしの感想ですね。
投稿者 藍旋 : 2005年06月15日 00:02
>まさくに様:
オセワニナッテオリマス。
たぶんホントウにジブンや仲間のタメの備忘録として利用してるヒトもいるんだろうし、チョコチョコっとメモ代わりに使ってるヒトもいるだろうし、ホントに自由でいいですよね。紙と書くモノを渡したからって、誰もがシェークスピアやピカソになれるワケでもないですし、ジブンの身の丈で描けば良いような気がします。ハタから言われても直さないヒトは治さないだろうし、ジブンで「こうありたい」と思ったヒトは、自分でスタイルを確立してゆくでしょうし。それ以上でも、それ以下でもないような、そんな気がします。
確かに生業とされている方顔負け(下手すりゃ数段上)のweBLogもありますよね。確かにああ言うのをプロフェッショナルな著述業の方が見ると、かなり足元を心配されるんではないかなって思っちゃいますね。
確かにマナーや倫理面では守られるべきガイドラインを各人が意識するべきだと思いますが、ホント、自由でいいんですよ。淘汰は自然に訪れると思います。続けるヒトは続けて、そして文化として根付いてゆくだろうし。
各種商用コラムのネタとしての流用、確かに在りそうですね。まぁ、それでもweBLogが情報源として役立ってると思えば、ソレで良いのですが(あぁ、モラルハザードが…)。
投稿者 Nagarazoku : 2005年06月15日 01:48
>エントロ様:
マイドオセワニナッテオリマス。
WWWを通した文書公開の方法は、正に「多様性」ですね。アタシは思うんですよ、たとえ読むのがジブン一人だけだったとしても、weBLogに書きたいコト書けば良いと。だって元々「日記」なんですから。
HPの頃も敷居が高くても頑張ってやってるヒトもいましたよね。ブログはブームって言うのも有るんでしょうけど、それだけ皆、自分なりの「コトバ」を持ってるって、そう思いたいんです。右に倣えとか、同じ色に染まれじゃなくってジブンのやり方で、許される範囲でやっちゃっていいんだと思うんです。そのためのに媒体も存在するワケだと思ったりもして。
確かに正規分布で考えれば「箸にも棒にも」なモノかも知れないんですケドね、それでもそこにも「何かを感じた」ヒトが居て、何かを表したいから媒体を使う。それ以上でもそれ以下でもなくて良いんですよね、実際。なんだかメジャー処が変に反応しすぎのような気もしたりして。
投稿者 Nagarazoku : 2005年06月15日 01:49
>藍旋様:
ハジメマシテ。
コメント、TBアリガトウゴザイマシタ。
小寺信良氏のコラムの件、これも捉えどころの違いなのだと思うんです。「読む側を意識したモノを書け」と言うのであれば、たとえばアタシのような捉え方をされないような配慮も必要になるのではないか、っとそう思ったので書いちゃったワケですヨ。
確かに、高い水準の文書作成術や適切なワーディングを駆使し、然るべきレベルのコミュニケーションを確立することは「書くコト」の「理想」だと思います。でもそれをweBLogに当てはめられてしまうのは、チョット大鉈を振るいすぎだと思うワケですよ。
モノゴトを綴っている人たちにも色んなヒト達がいるハズなんです。意図的にリンクしか設けてなければ、それはその本人が意図したコトなんです。氏も言ってるように、引用しかできてなくても、それは琴線に触れた部分があるからなんです。ソレでいいんです。それ以上でもそれ以下でもないから、現状はソレでいいんです。思ってるコトを上手に文章に落とせなくても、全然問題はないんです。
アタシが書いたコトは、氏の問いたかった真意とは違うかもしれません。でもひょっとすると鵠的を射てるかも知れません。どちらかは定かではありませんが、少なくともアタシのように受け止めたヒトもいてるでしょう。藍旋さんのように、もう少し広い視野で受け止めておられる読者もいてるでしょう。それで良いんです。10人寄れば気は十色なんです。ただ、最後のセクションで使われていた「文章難民」と言う単語、アレだけは絶対にいただけないんですヨ。氏が「公開している」意識を持てと言うのであれば、特にネ。
投稿者 Nagarazoku : 2005年06月15日 01:52
お返事ありがとう御座います。
やっぱり会話でも文章でも、人によって捉え方が違いますしね、難しいですね。。。
そう言う事もあるので、あのコラムは主語とかの重要性を唱えてるということですよ!(多分ですけど)
でも、やっぱり、そのまま全てコピペは引用では無く、盗用になるんだと思うんですよね。
クルマでも例え初心者でも人をひき殺すと罪なんですから、知らないからと言って、そのまま盗用まがいの事をしていたら、いつまでたっても著作権侵害を改善されない・・・ということで、警鐘を鳴らしたかったのかも知れません。(無いかも知れませんけど・・・)
私は気付いていませんでしたが、文章難民はちょっと言い過ぎかもしれないですね。
私達は素人なんですから、下手な文章は少々目をつぶって頂かないと・・・ですよね!
投稿者 藍旋 : 2005年06月15日 02:17
どうもはじめまして。
恐らく小寺氏はあの記事をNagarazokuさん始めここにコメントされた方々に向けたものではないと思います。
彼は文章には伝える内容・意見が必要と主張していました。では誰に伝えたかったか、ということがあります。もちろんライターとして誰を対象としてその記事を書いたかというと、ITメディアを訪れる不特定多数でしょう。しかし、ライターとしてではなく彼自身が本当に伝えたかったのは、ほとんど文章を書いてこなかった人だと思います。
インターネット利用の一般化とブログという便利なツールの登場で、ネット上だけではなく日常生活においてすら文章を書いたことが無かった人、更にまともに本すら読まない人までが、突然しかも非常に気軽にブログを始めた(←これは勝手な推測です)。そうなると当然、同じように思いつくままを書いたとしても、これまでHPを開設してきた人や、本を読むこと文章を書くことが好きな人が書くものとは全く違う、意味不明な文章が出来上がります。
かくいう私がそうでした。本を全く読まず、他人に見せる文章はおろか日記すら書いたことはありませでした。それこそ「文章難民」です。そういう人は、小寺氏の言う通り、しっかりとした文章を構築する「書く技術」を、意識して練習する習得することが先決なんです。
ブログのあり方に対しては、もちろん「100人いれば100通りの考え方や意見の述べ方」(引用してみました)があると思います。しかし、既に「書く技術、話す技術」を持っていらっしゃるみなさんは、小寺氏が意見を伝えたい対象ではないのでは、というのが私の考えです。
それでは、推測を交えた駄文長文、失礼しました。
投稿者 通りすがり : 2005年06月15日 13:40
>通りすがり様:
コメント、アリガトウゴザイマス。
通りすがりさんが仰られるように、ジブンなりの「書く技術、話す技術」を持っていて、いわゆるスタイルが確立されている層は、恐らく小寺氏がメッセージを伝えたかった層ではないと思います。
ただアタシは、仕組みに興味を持って使ってみたり、なんとなく書いてみたりしてしたヒトの中から、ホントウに「書きたい」と思ったヒトは自ずとその在り方、いまここで言われている「書く技術」的なモノを模索するじゃないかなって、そんな風に考えるんですよ、アタシは。子供がコトバを覚えるように、自然に事象を理解していくような、そういった環境が出来ているコトの方が素敵だなって思うんです。もちろんそんなポジティブな考えはダメかも知れない。ダメかも知れないけど、あえて大目に見ちゃっても良いのではないかなって実感してるんです。tangibleな媒体でないことに負う物が大きいのでしょうが、weBLogやWebを軸にしたネット文化には、そういった致命的なミスを吸収し再生できるだけのチカラもあったりします。比較的自由に参加できるコトの裏返しだったりもするのですが、黎明期から見てると閲覧できるコンテンツに関しては不思議な自然淘汰があったりするんですよね。
志向が先か、思考が先か、ソコが問題なんだと思うんデス。そこにペンが転がってたからペンを手にして書いてみるか、ペンを見てその然るべき利用法を理解してからキャップを外すか、タブンその違いなのでしょう。
たぶんアタシが氏の記事を読んで思ったのは「志向が先になければ、何も生まれないのでは?」ってことなんだろうなぁ、っと反芻してたりします。
投稿者 Nagarazoku : 2005年06月15日 17:34
こんにちは、コメントありがとうございました。
ブログの良さっていうのは未完成なところだと僕は思います。
本なんかみたいに言葉がある程度決まっててそれを上手に使うんじゃなくて自分の言葉で自分らしく書くブログだからこその魅力ってあると思うんですよね。
友人に本は読むの嫌いだけどブログはいつも読んでるって子がいますが
そういうことだと思います。
投稿者 slyme : 2005年06月25日 18:17