≪ 蕎麦とステーキ |メインページへ戻る| 本のネダン ≫
2005年04月14日
【
フィクシーに思う 】

サンフランシスコの目抜き通り、マーケットストリートをフェリーターミナルの方へ下って行けば、そこはファイナンシャル・ディストリクト(金融街)の外れだ。そのマーケットストリートと一番街が交差するあたりにシャクリーテラスがある(シャクリ・コーポレーションの社会的な善悪についてはここでは割愛する)。シャクリーテラスは界隈の企業ご用達のメッセンジャー・ボーイの溜り場になっている。
天気のよい午後、フラリと出かけてみれば、仕事が暇なのかサボってるのか、ジンジャエールなどを片手に、けっこうな数のメッセンジャー・ボーイがたむろしてアレやコレや他愛のない話に華を咲かせている。しかし彼らが使っている自転車の大多数は、私たちが普段見慣れている自転車とは違う。
中には普通のロードレーサーや、タウンバイク系も居るが、彼らが使っている自転車のほとんどがシングルギアのピスト、いわゆる競輪用のバンクを走るためのトラックレーサー(競輪用競技車輌)に手を加えたものだ。手を加えると言っても、視界を稼ぐために、ハンドルなどのライディング・ポジションを多少街乗り用にしただけで、ブレーキを着装しているライダーは皆無に近かった。固定ギアだから、足の回転で調節しスピードを落とし制動するわけだ。
時代は変わったが、ツール・ド・フランスではその昔、カスク(ヘッドギアみたいなもんだ)も被らず、グローブもしないのが正統派で、ヨーロッパの騎士道に則った戦への正しい挑み方だとされていた。固定ギアのトラックレーサーに颯爽とまたがり、ヒラリヒラリと行き交う車をかわし、交通の流れに溶け込んでゆくメッセンジャー・ボーイを見て、アタシはそんな「騎士道」のハナシを思い出したりもした。今から6年ばかり前のコトだ。
東京でもバイク便に代わって、ここ数年メッセンジャー・ボーイ(自転車便)が増えたが、その中でもこの1~2年でトラックレーサー改造派が目立ち始めた。自分の経験を踏まえて言わせてもらえば、公道でトラックレーサーを乗るのには反対だ。どんなに技術をもった乗り手が操っても、街中で乗るには危険な乗り物でだと思う。しかし機械として見れば、その美しさは他では見られない類のものだとも思う。
アタシも高校の頃使っていたトラックレーサーを捨てずに、後生大事に置いてある。不要なものを全て削ぎ落としたそのフォルムが持つ美しさを表現できる言葉はない。ブレーキや変速機を持たないから、視界にマスとして入ってくる物体が極端に少なく、全てが線で構成されているように見える。ワイヤーの類が全く無い。獲物を狙う獣のようなライディング・ポジション。タイトなアングル。ナローなスチールパイプをつなぎ止めるラグも贅肉を削り取られ、シュールな曲線を描く。
車体と言うよりデバイスと表現する方が正しいかも知れない。シンプルなそのデバイスは、乗り手が持つ爆発的な筋肉の力を路面に伝えるためだけに存在する。ロードレーサーが騎士道なら、トラックレーサーは居合いだろう。一瞬の駆け引きが勝敗を左右する競技自体、居合いのようなものだ。全てがシンプルだ。
モノを操ることで得られる快感は、それを知っているヒトにとっては何物にも変えがたい。そして、それが高度な技術を要するものであればあるほど、操ることが難しければ難しい程、自分の限界に挑戦して人車一体となり、完璧にコントロールできた時に得られる歓びは大きい。
バンクを流すのですら難しいトラックレーサーを公道で走らせるためには、非常に高度な技術が必要だ。公道走行用にブレーキをつけていても急には止まれないから、常に広い視野を確保して交通の流れを読み、可能性のある逃げ道をいくつも見つけておく必要がある。とまらずに運転することだけに集中する。固定ギアの自転車乗ると言うことはそう言うことだ。バンピーな街中の路面からの突き反しも半端じゃない。F3車輌で街中を走っるようなもんだろう。
1999年のサンフランシスコにはこいつを華麗に操るメッセンジャー・ボーイがゴロゴロいた。それでも事故は起こる。チャーチ・ストリートとマーケットの交差点で、路面電車の軌道にタイヤを取られ、そのままぶっ飛んで路面に叩きつけられているライダーを目撃した。メッセンジャー・ボーイの需要が非常に高いサンフランシスコでは、車との接触事故による問題も少なくなかったようで、地元紙などはこの問題をけっこう大きく扱っていたりもした。
その波が東京にも来ているな、と思う。たぶん東京でも、今年の夏から来年にかけてシングルギアのトラックレーサーを駆るメッセンジャー・ボーイが続々と増えることだろう。駆け抜ける姿は美しいと思う。事故に巻き込まれるなよ、と思う。日本でも新しい自転車の乗り方として根付くのか、と思う。
米国ではこの手の車輌の乗り方が新しい文化として根ざしつつある。フィックスド・ギア(固定ギア:fixed gear)という名前を文字って、
フィクシーという愛称で呼ばれている。依然、交通手段としての課題も残っているが、そこは寛容なお国柄だ、彼の地ではなんとかなるのだろう。スタイルも挑発的なものから、シンプルさだけを前面に押し出すように変化しているものも見受けられる。
しかし東京ではどうだ。せちがらい日本ではどうだ。昔をなつかしみながら、もう20歳若かったら自分はフィクシーを街中で転がしていただろうかと考えながら、そして用心深くなった自分を見つめながら、もう少しこの様子を眺めていたいと思う。
|by Nagarazoku : 00:03|コメント (0)|トラックバック (0)|
トラックバック・スパム対策のため、このBLOGへのリンクを持たないページから送られたトラックバックは自動的に拒否されます。悪しからずご了承ください。
また、このエントリと全然関係の無い内容のページからのトラックバックは、アタシ的な判断で勝手に削除します。これも又、ご了承くださいマセ。
■このエントリーのトラックバックURL ≫ http://www.nagarazoku.com/mvt/mt-tb.cgi/36