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2005年04月13日
【
大きなお世話 】
国を挙げてフリーター対策に乗り出すそうである。仕事があって、本人が良しとして働いているならフリーターでもかまわんじゃないか。イヤな仕事やジブンに合ってない職場なら、本人も考える。安定した(ナニが安定だ?)職場を求め、就職したくなったったらそれも考える(だろう)。若かりし頃、フリー・アルバイター(まだフリーターとは呼ばなかった)で糊口をしのいでいた時期があるアタシが言うのだから、間違いない。国を挙げて乗り出すとは日本も地に落ちたモンだ、と言うか大きなお世話じゃなかろうか。
アルバイトだとかパートだとか正社員だとか、働くと言うコトを区分する必要はない。絶対にあってはならない。働けるときに働ける場所で、働けばよろしい。心身ともにそれが可能な状態で、受け入れる場所があるならそれで良い。そもそも生きるってコトは、そういうコトだろ。どんな社会にあっても雨風をしのげ、食うに困るコトなく、本人が過不足ないと感じてるならそれでエエではないか。日本国憲法の第27条には「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」とあるがフリーターはアカンとは書いて無いぞ。
「技能や知識が身につきにくいフリーターの増加は、本人の問題だけでなく、人材が育たないことで産業の活力や国際競争力を弱めることにもなりかねない」と言うのが厚生労働省の言い分だそうだが、ナンじゃこりゃ? 「技能や知識が身につきにくいフリーター」ってぇのはなんだ? 本人が興味を覚えれば、突っ込んで考え、技術や知識を習得しようとするだろ。最初の第一歩はナンでも良い。十羽一絡げにフリーターで括るな。「人材が育たないことで産業の活力や国際競争力を弱める」ってぇのも大きく出たな。人材として育つには本人の積極性も問われるのではないのか? ナニか、とりあえずドコかの会社に就職さえすれば、日向のカイワレみたいに勝手に育つと思ってるのか? それで国際競争力が増すと思ってるのか? 今の日本の経済状況や産業における国際競争力を見て、これまでの「優れた人材」が導き出した「結果」をどう評価するのだ(バブル崩壊以降、本当に立ち直ったと言える常態か?)。
フリーターだって働いているワケだし、何も将来のコトを考えてないワケじゃない(と思う)。考えれば考える程おおきなお世話だ。
そもそもこういった婉曲な手法ではなく、ホンネで国民に訴えてもらいたいもんだ。
「すんません、就職して源泉徴収にしてもらわないと税金や年金の取りこぼしが減らないんです」ってトコロがホンネだろう。人材派遣に対する規制を緩和し門戸を広げた国の姿勢を考えれば、ますますそう思えてくる。派遣による就労であれば派遣会社が責務を負うから、税金や年金の取りこぼしは(フリーターに比べて)少ない。方やパートやアルバイトではいくら規制を強化したところで、いわゆるアンダーテーブル(under the table)的な就労者からは税金や年金を取り立てられない。尽きるところ、そのあたりが本音ではないのか? 本当に技術や知識や国力云々を謳うのであれば、使い捨てにされて行く派遣社員の行く末をどう捉えているのか聴きたい。マジで。
国民会議が「自立した若者を育むための基本方針」を策定するらしいが、だったらまず、自立できない若者が生まれた社会背景を振り返り、そこへ至った責任の所在を明確にすべきだ。どうあるべきであったかの反省点も洗い出し、関係者は失政や失策の全てを謝罪すべきだろ。
そもそもこういった無碍な施策を提案する方々は、フリーターがどのような視線で世の中を見て、どのように世の中と対峙しているか判ってるのだろうか? 様々な意味で抑圧された生活(官僚社会における縦割り制度の抑圧は該当しない)を強いられた経験はあるのか? アルバイトやパートで働いている人々が肌で感じてる賃金格差や様々な矛盾をどう捉えているのか、そのあたりをお伺いしたい。就職した後、大手企業との圧倒的な賃金格差や福利厚生/保障内容の格差を就労者が疑問に思っても、その責任の所在はその職場を選択した本人にあると切り返すだけなら、国にフリーターをとやかく言う資格も権利もない。所詮その程度である。
そもそも今回の施策に対する予算の割り当てが約370億円ってナニよ。来年度以降は「実績をみて判断したい。目標数値を設けるかどうかも未定」とあるが、そんなんでエエのんか? 「お母ちゃん、どないなるかわからヘンけど、チョットお金出してぇな」、と言うレベルだ。これでアカンかったら370億円、ドブへ捨てるってワケだ? 国民の血税をそんな風に使えるんだ? 豪気だね。身内で仕事作って、そこで消費してしまってるように見えるのはアタシだけかしら?
アルバイトでもパートでも、自ら働く意思を持って働き、大なり小なり生計を立て、日々生活していることは、それだけで素晴らしい事だ。私はそう信じている。人々の「働き方」を区分けするような発言を省庁が行うとは、なんとも大きな勘違いである。しかもそれを「若者支援」と謳っている。意識の差とはこういう事を言うのだろう。なんだか悲しくなってしまった。
P.S.
社会や国家は人々の生活に必要な機能を提供するための論理単位だ。もちろん円滑に機能するよう司る自律機能も必要だが、それは主とする機能ではなく補完機能たるべきだ。理想論かも知れないが、社会や国家はそこで生活を営む人々が使える「道具」であるべきなのだ。決して人々が、国家や社会に道具として使われることがあってはならない。今回の厚生労働省の施策を見ていると、人々をあたかも国家のリソースとしてしか捉えていないような気がして仕方がない。
アタシが報道を知りこの内容を書こうとしてたら、
極東ブログさんがニート問題をいち早く取り上げておられた。一読をお勧めする。
|by Nagarazoku : 00:03|コメント (0)|トラックバック (0)|
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