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2005年04月11日

【 ドコへ行くユニクロ? 】

いちど確固たるブランドが定着してしまえば、やり方やセグメントを変えて攻めてみるのも良い。もしも定着したブランドが品質の証として認知されていれば、少々単価を下げて多売に転じるという方法も有効だろう。たとえばメルセデス・ベンツのAクラス。 質実剛健なドイツ車の雄、ベンツの冠を拝したコンパクトな逸品(と、タテマエ上しておこう)だから、タウンユースや奥様向けのセカンドカーとして、一定の顧客層に訴求力を持つだろう。廉価路線ではなく、目先を変えて攻めるのもいい。PRADAのポケットティッシュケース? ヨロシイ、無くても困らない代物だが日常使いにちょうど良い価格設定だから、欲しいヒトは欲しいだろう。BVLGARIのキーリングもそう。 ゼンゼン見当違いな使われ方もしてたりするが、これもオマケ的な存在というイミで、あってもおかしくないだろう。

こういった手法は、定着しているブランドが高い品質を意味する場合にはかなり良い効果をもたらす(効果がありすぎて、一時的にイメージが低下する場合もあるが…)。しかしその逆はどうだ? ちょっと考えてみよう。L.L.Beanの最高級品質ダウンジャケット、品質はThe NorthFaceと同等でプロユースにも耐える(もしもあった場合だぞ)。果たしてアイガー北壁のアタック隊は採用するか? しないと思う。ではスズキの最高級ラグジュアリー・セダンがあったらどうだ。アリストもフーガも真っ青な性能を半値で実現した場合は?(アタシはスズキのファンだから、別に悪意はない) きっとコレも売れない。カシオの一眼レフ・デジタルカメラは? 値段はニコンの半額で性能は同等、レンズの互換性があったとしても、売り上げは伸びないだろう。これらの製品が売れない理由は、ブランドとして実績が無いからではない。消費者がそのブランドの製品として「期待」しているものではないからだ。そのブランドの熱狂的なファンでないかぎり、まず買わないだろう。

他所様の仕事のやり方にクチを挟むのもナンだが、こういったコトを考えると、 ファーストリテイリングの「世界品質」戦略はあんまり訴求力がないのではないかと思ってしまう。社内で仕事を生み出し、社員の士気を高める上では効果があるかも知れんが、消費者にとってはどうだろう。ユニクロというブランドの上に成り立つ商品は、やはり普通のユニコロであって欲しいのじゃないか。 そう考えると、商品自体が死んでしまわないかと思ってしまうし、行き着くところ戦略上の空回と、宣伝費用の無駄使いになってしまわないかと心配してしまう。断っておくが、別にユニクロの製品が悪いとか良いとかを言いたいのではない(かと言って、特にファンでもないが)。黙って品質を向上させておいて、価格もチョットだけ上乗せしておくだけならまだしも、中途半端なスケールアップは如何な結果を生み出すだろうか? 無印良品を見ればいい。常に無印良品だ。戦略があっても下手にそれを宣伝しない。

あまりに急成長したファーストリテイリングが次の一手を打ちたくて仕方ないのは、ハタから見ててもよく分かる。「でもね、消費者は売り手側の都合なんて考えてくれないものなのだよ」と、アタシは言いたい。ましてや、コトバは悪いがGAPと無印良品を足して2で割った戦略を選択し、ユニクロ・ブランドというポジショニングを消費者のアタマの中に刻み込んでしまったは同社だ。今更「世界品質」を謳っても、喜ぶのは一部の熱狂的なユニクロ・ファン(そういうヒトが居ればだが)と、一時的にその仕事の恩恵を受けている人たちだけ。早々と打ち切った「野菜」戦略のようにならないことを祈るしかないのだが。

良い品質のモノを適正な価格でユーザに提供しているコトをアピールするためには、過渡的な戦略ではなく、地に足をつけ、長期的な戦略を練る必要がある。Samsunを見れはわかるように、認められるには時間が必要だ。もしくはBANANA REPUBLICのように、GAPグループであることをあからさまにせず、完全に異なったセグメントを攻める方が良いのかも知れん。門外漢がナニを言うかと思われるかも知れないが、このところのユニクロさん、焦燥感が見え隠れしてカッコワルイような気がして、勢いで書いてしまった。

タイミング良く、先週2005年4月2日号のThe Economist誌がブランドに関係した特集記事を組んでいた。その中で、InterbrandのManaging Director、Jez Frampton氏は、「これだけ情報やモノが世の中に溢れているというのに、消費者はブランドにとらわれず純粋に経済的な価値観でモノを買わないのか」という同誌の問いかけに対し、「ブランドは信頼の証」であり、複雑多様化した市場における「指針」としての役割を果たしているからだとしている。ナルホド、信頼の証かどうかは別として、複雑多様化した市場で消費者の「指針」として機能しているとする部分は的を射抜いた表現だ。

人々はモノを買い求める時、モノが溢れる程に、情報が過多になる程に、指針や指標が重要になる。しかし企業は成長を求めモノを売ろうとするとき、ナニを基準にしているのだろうか? 方向修正や機軸からの逸脱が消費者に戸惑いを与えていないだろうか? 一度は自らが築いた指標を勝手に作り変えようとしていないだろうか? そしてもしもそれが消費者に混乱をもたらしたなら? 

「混乱の時期には、顧客は安定したベンダーへと流れる。」これはPC直販の雄、DellのKevin Rollins氏が最近のPC市場を見て吐いたコトバだ。表現は違うが先のJez Frampton氏が言う「ブランドは信頼の証」と同じ意味を含んだコトバではなかろうか? CSR(corporate social responsibility:企業の社会的責任)は、こういった視点でも考えられるべきだという意見はまだ時期尚早なのだろうか。

|by Nagarazoku : 00:03コメント (0)トラックバック (0)

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