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一昨年、実家をマンションに買い換えた。実家があった土地は更地にして売却するコトにしていたので、当然ながら建物を抹消登記すると共に、そこで利用していた様々なインフラストラクチャの解約をする必要が出てきた。イチバン手間がかかったのがNHKである。名義はダレだ、電話してるオマエはダレだ、なんで解約する、今度は契約しないのか、書類は所定の住所以外には送れない、2週間以内に送り返せ、オンラインや電話での解約は受け付けない、ナドナド、散々文句を言われた。しかも初回は解約のための書類すら送付されてこず、結局二度手間になった(電話代を返せ!)。これらの状況を踏まえ、やっぱりNHKは偉そうだと、アタシ的には結論付けた。
世間一般のヒトの視線で見ても、NHKは偉そうに見えるらしい。放送されている番組の中にはとても優れた内容のものもある(らしい)。でも、その放送の受け皿となっている人々に対して取る態度は実に偉そうである(と思われる)。海老沢前会長の態度がどうだだったからだとか、ナンだとか言われているが、そんなコトは二次的な産物だろう。実際に消費者が「偉そう」と肌で感じた以上、それは偉そうに見られているのだ。それ以上でもそれ以下でもない。それともう一つ、見てもいない番組に対して身銭を切るのはダレだって嫌なもんだ。オールインワン・パッケージで地上波は月額いくら、オプションのBSはオールインワンでいくらなんて今時イヤでしょ。CATVの有料放送だって見たい番組だけ払うってもんだし。
そのあたりの消費者の心境や諸事情を理解しようとせずに「ああだこうだ」、「私はどうだ」と切り返すから余計に嫌われたりするんじゃないかな? しかもあれだけ露出度が高い以上、やっぱり世間から見れば海老沢前会長=NHKの図式は崩せない。スピンドクターもいなかったようだし、露出する以上そういったリスクが付きまとうってコトが理解できてなかったは最大の失策。世間をナメてかかってるってコトの表れだ。中央公論の5月に海老沢前会長の単独インタビューが掲載されるらしいが(読む気なんてサラサラないが)、「一連の騒動は本当に火のないトコロに煙が立ったのだろうか?」なぁ~んて思えてしまう。今回の露出も、ただ単に話題から消えるコトの怖さでインタビューに応じただけじゃないか、なんて思ってしまう。だったら、もっと寂しいものがあるし、懸命に建て直しを図っている現NHK職員にとっては迷惑なだけじゃないだろうか?
某紙によれば前会長はインタビューの中で、「事実を歪曲したり、情報操作をしたものではない。なのに一部マスコミは、NHKの体質に問題があるからだとか、会長が非常に独裁的で権力的だからだとか、問題をすり替えてしまった」と語ったそうだが、すり替えられてしまう「問題」がそこに存在していたことがワキの甘さだ。すり替えられ、槍玉に挙げられてしまうホドの鬱憤を他のマスコミに与えたコト自体が問題だと理解できてないアタリに、ああだこうだと言われる元凶があるじゃぁなかろうか? 火のないトコロに煙は立たないし、燃えにくいモノは燃えないのだ。
件の戦争特集番組の政治介入に関する問題には「事実無根」とし、「最初から何らかの意図を持ったキャンペーンのように思えてならない」と発言したらしいが、そりゃそうだろ。この場合に日本語でキャンペーン(政治的な意味合いを持った活動)と表現することが、一般に正しく理解されるかどうかは別として(このあたりのワードの選択にも何かの意図を感じるのはアタシだけ?)、炙り出しのための一突きなんだからコマを進めるためのキャンペーン(campaign:戦略)なんだと思う。
ナンにせよ、これからはワキをシメて、消費者の声に耳を傾けてほしいものだ。ハナシは脇へ逸れるかも知れないが、過去数年の地上波デジタル化のバトルを振り返ってみればワキの甘さをまざまざと感じる。なんだかいまだに釈然としないし先も見えない地上波デジタル。その音頭を取ってきたのもNHKだったような気がする(って言うかそうだし)。
コンテンツの選択肢の幅を広げるのであれば、地上波デジタルも良い提案かもしれない(もう、これ以上誰がTVを見るのかという疑問もあるが…)が、結局のところ、そのインフラストラクチャの整備にはカネが必要なのだ。誰かが負担する必要がある。個人的に言わせてもうなら、アタシはビタ一文負担したくない。国民のテレビ端末の買い換え需要による経済効果、民放各社の機材買い替えによる経済効果を狙ってたりするのだろうが、今時の消費者はそれホド甘くはない。って言うか原資は限られてるワケだし。
技術的には、コケてしまったハイビジョン(コケたよね?)や地上波デジタルも、画質の向上や容易な双方向性の実現、ピアツーピア通信の確立の可能性など面白い側面もあるが、現状のTVで放送されているコンテンツをそのままの内容で高画質で見せられたり、無理やりな双方向性を提供されても困るだろ(アタシは困る)。ましてや、それに対して身銭を切れと言われれば消費者が納得するとは思えん。消費者はTVを中心に生活しているのではないし、TVを唯一の情報源として崇め立ててるワケでもない。消費者の生活様式が複雑化し、情報の伝達経路がますます多様化する中で、ナンで消費者が身銭を切ってテレビのイニシアチブを高めてやらなアカンのじゃ?(この辺の経済観念に関してはAdam L. Penenberg氏あたりが詳しい)
もし本当にTVのコンテンツに対して「消費者が喜んで支出する」とそれほどまでに言うのであれば、浜田省吾の歌の歌詞じゃぁないが、「そのワケを聞かせて」欲しいものだ。大衆エンタテインメントの雄と言っても良い映画ですら苦戦して、仕方がないから破格値でDVDを販売して、それでも業績が伸びないから、結局DVDレンタルの切り売りによる収益まで勘定に入れて(正に多様化への対応だな)頑張ってる状態だというコトを理解しているのか? 魅力的でダレをも惹き付けるコンテンツを提供する自信があるのならサワリだけでも観せてみろ。企画書だけでも良い、開示しろ。
かなりワキへ逸れたが、行き着くところ電波だろうがナンだろうがそれを「消費」する「ユーザ」と、それを提供する「プロバイダ」の考え方に温度差が有る限り、そいつは何かにつけ火種になるってコトを言いたかった。出井伸之氏、中内 功氏、渡辺 恒雄氏、海老沢勝二氏など、ここ数年来続いている様々な状況を見ればわかるだろ。「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」ではないが、規模が大きくなり、そして強い影響力を持てば持つほど自分の足元を鑑み、影響を与えてしまう人々の視線に立つ必要性がある(と言うコトは、あえてアタシが言及するまでもないだろう)。そしてそのツケが結局は自分にふりかかってくるだけでなく、社会的な混乱を招くということを充分に理解するべきだ(とアタシは信じて疑わない)。姿勢を正し、消費する側の目線で考えて向き合うキモチがなければ、クチでナンボ上手いコト言ってても、いつかは綻びが出てしまうものだ。
P.S.
ちなみに放送メディアに関する地道な調査はMamo氏のサイトが詳しい。興味があればご一読をお勧めする。
|by Nagarazoku : 00:03|コメント (0)|トラックバック (0)|
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