≪ プレゼンス管理を考える |メインページへ戻る| 消費する側の目線に立て ≫

2005年04月08日

【 コトバの感じ方アレコレ 】

まだサンフランシスコに住んでた頃、ノン・ネイティブなイングリッシュ・スピーカーに対し米国式の発音とスピーチを教えるUCBのクラスに通ってたコトがある。「どのような言語でも、会話のコミュニケーションにおいてコトバが伝えることの出来る意味は、たったの25%だけだ」というのが、現在の定説であると言うことをその時の恩師、Gerry Garberから聞いた。残りの75%はイントネーションや表情、そして身ぶりなどのエクスプレッションで表現されているそうだ。しかるに、もしも声だけでコミュニケーションを成り立たせるのであれば、明瞭な発音と適切な抑揚が欠かせないと言う。なるほどコレは電話による音声だけのコミュニケーションと、実際に面談した場合のコミュニケーションを考えてみれば良い。母語(金田一春彦教授に習い、母国語ではなく母語と表記させていただく)を利用した場合はさておき、ノン・ネイティブなコトバの場合、込み入った内容を音声だけで伝えたり、相手の発言内容をそれなりのレベルで理解するためにはかなりの訓練を要する。コトバを音だけで伝えると言うことは、思っている以上にタイヘンなのだ。

枕はさておき、昨日Hooray氏がブログでオーディオ・ブックについて言及されていた。氏が「米国に普通にあって、日本にはないもののひとつにオーディオブックがある。」とおっしゃるとおり、日本ではオーディオ・ブックの類をあまり見かけない。なお、今言っているオーディオ・ブックには、アルクや研究社、そして茅ヶ崎Methodが出している英語教材は含まない。

米国における継続的かつ安定したオーディオ・ブック需要を考えると、Audio Book Japanを見ても日本での支持率は恐ろしい程に低い。米国のボーダーズ書店なんかじゃ、売れ残りのオーディオ・ブックなんぞは半額以下のラベルが貼られ、山済みにされてガンガン売られてる。みな、ここぞとばかりに買い込んでゆく。それぐらい流通してるし、需要もある。この差異はナニに起因しているのだろうか。日本語のラジオドラマだってファンは多いし、朗読会なども比較的需要はあるから、決して日本語の朗読というものに魅力が無いとは思えない。大昔のハナシになるが、NHKが夜の銀河テレビ小説で故向田邦子氏の短編小説を朗読仕立てで放映していた時、何気なくソレを聴いていたアタシは子供ながらに感動を覚えた。こう思うと、ハナタレ小僧の貧弱な感受性にインパクトを与えるくらいのパワーだって日本語にはある。

ちなみに書籍(紙に印刷され製本されたモノ)に関する需要は、米国でも日本でも似通ったものだと推測できる。アチラの人々も活字を読むヒトはホントによく読む。咀嚼して消化しきってるかどうかは別としても、オープンカフェで大判の書籍を抱え込んで読んでるヒトを良く見かける。日曜版の新聞なんぞ、尋常ではないボリュームだ。日本を見ても、状況はさほど変わるまい。活字離れが激しいといわれつつ、相変わらずの雑誌天国だし、文庫本も売れるモノは再販を重ねロングセラーになっている。新規刊行される書籍もそれなりに需要がある。よろしい、字を「読む」コトに対する需要はその質の如何に関係なくほぼevenだと思える。だのに、日本国内におけるオーディオ・ブックの認知度は低い。ナンデじゃ? しかしだ、日本語を母語とするヒトでも、英語に長けたヒトはオーディオ・ブックを愛好しているヒトが多い。ナンデじゃ? 何故日本語では聴かぬ? ナニかひっかる。

小山麻紀女史によるdyslexia児童の研究(諸事情によりリンクは作成できない)では、アルファベット構成されたワードを分かち書きをする英語を母語とする者と、表音文字(カナ/かな)と表記文字(漢字)とを混合させ分かち書きをしない日本語を母語とする者との間における脳機能の差異が取り上げられている。また山鳥重教授は、脳内における仮名と漢字の視覚処理と音韻処理、そして意味処理過程の差異を明らかにしている。このあたりにカギが隠されているのではないだろうか?

ゴチャゴチャ書き出すとキリがなくなるのでスッパリと書いてしまえば、仮名漢字混じりの日本語は、聴くよりも読む方が脳にとって刺激があって楽しいのだ(キチンと脳が機能している人々にとっては)。方や、アルファベットでダラダラと記述された英語は、目で追っかけて読んでも脳にとってはアンマリ楽しくないコトバなワケだ。だから、直接「音」で耳から放り込んでやった方が楽しかったりするのだ。

実際、英語を読む際は脳の音韻的処理能力がモノを言う。黙読してる際もブツブツ囁いてたりするのは、そういうワケだ(ブツブツ言ってない人でも、喉や唇の筋肉が動いてたりする)。そう、脳にとってのコトバの「感じ方」も「接し方」も、言語によってアレコレ/イロイロあったりするのだ。行き着くところ、日本語は聞き流すだけではあまり脳を刺激してくれない、そして英語は聞き流すだけで聴けるヒトにとってはそれなりの刺激を与えてくれると言うことが、日米のオーディオ・ブック需要の差異になって現れているのではないかと、アタシ的には思ったりするのであった。

トコロで、英語中級者が聴いて楽しい小説を一つ挙げろと言われれば、Robin CookのVectorをお奨めする。ナレーションは数多くオーディオ・ブックを手がけている俳優のJason Culp。喉にかかった渋めの声が臨場感を高め、適度に耳を刺激してくれて飽きが来ない。三度聴けば気分はもうNYの監察医、ジャック・ステープルトンだ。作品自体も、米国で炭疽菌事件が起こる2年前にあたかもあの出来事を予見するかのように描かれており、非常に興味深い。

P.S.
日本人では関西人の方が英語を話した場合に上手く聞こえたりする音韻論的な諸事情と、冒頭で書いたイントネーションとの関係については、またその内に(ネタに困れば)言及する(かも知れない)。

|by Nagarazoku : 00:03コメント (0)トラックバック (0)

トラックバック・スパム対策のため、このBLOGへのリンクを持たないページから送られたトラックバックは自動的に拒否されます。悪しからずご了承ください。
また、このエントリと全然関係の無い内容のページからのトラックバックは、アタシ的な判断で勝手に削除します。これも又、ご了承くださいマセ。

■このエントリーのトラックバックURL ≫ http://www.nagarazoku.com/mvt/mt-tb.cgi/25



▼コメント(スパム対策のため、半角英文のみのコメントは受け付けていません。悪しからずご了承ください。)




保存しますか?