≪ Victim: The Other Side of Murder |メインページへ戻る| カレーあれこれ ≫
ジブンの幸せをカネで買うかどうかは本人の勝手だと思う。しかし他人の幸せをカネで買って満足に浸ろうなんて考え方だけは最悪だと思う。岩井克人教授が説く利潤論もそれなりに理解できていると思うし、その差異から生まれる有利性を軸にその格差を利として摘み取ると言う説に、意を唱える点はどこにも無い。いや、人一倍欲張りなアタシは、デキレバもっと奨励して一山当てたい気分だ。物々交換のムカシから私達ニンゲンはそうやって生きてきた。21世紀という輝かしい(本当か?)時代になっても、私達の生活を支えている足元がそのシステム上に成り立っている以上、(言いすぎかも知れんが…)少なくとも自称「先進国」を謳う各国の国民に異を唱える資格はない。フェア・トレードと言うコトバがあるが、それはトレードと言うものがフェアでない事を暗喩しているようなものだし、トレードという母集団がフェアで無いからには、フェア・トレードは実在しない。
昨年の年末にダイヤモンド社から「世界を変えるお金の使い方」という本が出た。非常によくで編纂されており、その思想もしっかり地に足をつけているし、この本で紹介されているような様々な活動が展開されていることは嬉しい限りであるのだが、ただ何か釈然としきれない部分がある。災害の復旧などへの草の根レベルにおける寄付や対応は素晴らしい。しかし人災、特に経済的な人災に「お金」で対処するのは問題有りだ。エンデの遺言ではないが、カネを使って世界を変えようとすると、ソコに矛盾や水面下での軋轢が生じて負の方向へのベクトルが強まってしまうことを、何故イイ大人が理解出来ないのか不思議である。そんなコトを思うぐらいなら、カネを稼ぐな、カネを使うな。代謝を不活性化する以外に適切な対処方法はないし、銀の弾丸も存在しないし、局所的な対応では事態をより深刻化させるだけだ。
身近な話題へ視点を移そう。環境に優しいとされるハイブリッド・カーは、それが製品として消費者の手元へ届けられるまでに、ソレ相応のエントロピーを生み出しているし、結局のところライフサイクル全体を通したエントロピーは、普通の自動車となんら変わらん。要するに環境へ及ぼす影響は同じという事。環境に配慮しつつ自動車を利用したいなら、最低でも全てのヒトがスズキのアルトに4名で乗り合い乗車するぐらいの配慮が必要。しかもアクセルは優しく踏み込み、時速は30km以上出さずに、最高の燃焼効率を実現するだけの変速とクラッチ・ワークなどテクニックを駆使することも求められる。オートマチック車なんてもってのホカ。
企業が昨今「エコ」というコトバをキーワードに、自らの社会責任をあらゆる媒体と機会を利用して説いているが(いわゆるCSR:Corporate Social Responsibilityだな)、コイツは自社の企業イメージを高めて、自社の株価を上げたいだけ。どの企業のIR担当もPR担当もその点を充分に踏まえて適切に対処し、機会をムダなく利用している。新聞や雑誌の広告が増えればムダなページが増えるコトで森林資源へのインパクトも増えるだろうし、製紙工場から印刷の現場でそこで消費される電力や、そこから出される余分な熱で、ますます環境にヨロシクナイ結果が生まれる。しかも広告代理店の懐が肥えて、新しい餌食を陥れるための体力を温存させるコトになるから、始末が悪い。テキサスのバカ息子のコトバを借りれば、これこそ当に「悪の枢軸」だ。
スタグフレーションの真っ只中にあったアメリカで、エイモリー・ロビンス氏がエントロピーについて説いてから早四半世紀。紆余曲折があったものの、ニンゲンを乗せて突き進んでいる暴走特急は一向にその速度を落とす気配が見受けられない。「小さな言い訳」でその場を切り抜けるテクニックも更に巧妙なものになった。もっとも、ニンゲンの存在自体をライフサイクルとして捉えた場合、正しいフェーズに入っていることだけは確かなので、アタシがトヤカク言うような事でもないし、森羅の万象にとっても大事ではないのだろうが…。
|by Nagarazoku : 10:18|コメント (0)|