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先週、ココロに語りかけるユーザ・インタフェースってなコトをここに書いたが、書いててふと故辻嘉一氏のコトを思い出した。辻氏は茶道裏千家付きで懐石料理を提供していた辻留の2代目にあたる巨匠中の巨匠。身を持って料理を体得し、身をもって料理を伝えたヒトだ。懐石のヒトだからと決して構えるなかれ、家庭における食事のあり方も常に意識したヒトなので、数多くその手の著書を手がけている。一芸に秀でた者は…、と言うコトバもあるが、氏のリズムのある語り口調こそ、正にソレを指すのだなぁと関心させられる。
さて、なんでインタフェースと辻嘉一氏なのか。実は氏が著書の中で、お握りは手で持って食うものだと、箸で食うものではないと説いていたからだ。その持ち重りや指への触感、その全てがオニギリであり、その全てで食を、味を、堪能するものだと、氏は説いていた。的を射抜いた意見とはこのコト。そう、オニギリにもココロに語りかけるユーザ・インタフェースが存在したのだ。
考えてみりゃ、そこいらのオヤジさんが「握り寿司ってのはクチに入れた瞬間にホロリと米粒が砕けて…」なぁ~んてウンチクを語ってるのも、よくよく考えてみれば、握り寿司のインタフェースを語ってたワケだな。目で見たり触ったりするものだけでなく、食べるということもインタフェースが深くかかわっているのだなぁ…、っと、まぁ、そんなコトをここ数日考えていたワケだな。確かに中華料理でも、チャーハンの具は触感を損なわないよう、味が均一になじむよう、米粒大に刻むのが基本。こいつもインタフェース的な課題の解決方法だな。いやぁ、ヒョンなコトでヒョンなコトを思い出すから面白いものだ。
|by Nagarazoku : 21:58|コメント (0)|